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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたもりおゆうのライフワーク画集。昭和の思い出を絵と文でお送りしています・・・毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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#イラスト

「歩行者天国」人優先社会へのターン

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ269枚目 歩行者天国の大規模なものは昭和44(1969)年北海道旭川市が最初。 (北海道、スゴイ!) 翌年には銀座、新宿、池袋など東京に引き継がれました。 その銀座では初年度何と80万人近くの人出(8月2日)。 何と、甲子園球場の収容人数の約16倍です! 「車を道路から閉め出そう」というこのホコ天の試みは、車優先社会から「車より歩行者が優先」という現在の社会意識へと向かうターニングポイントとも言われています。 昔の風潮 横断歩道

昭和を代表する家庭常備薬「仁丹」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ267枚目 昭和の家庭の常備薬といえば絶対にこれ「仁丹」です。 どこの家庭にも置いてあった、と言っても過言ではありません。 もちろん我が家にもありました(笑) 今では珍しくなった携帯用の懐中薬です。懐中薬と言えば、水戸黄門の印籠ですね(笑) 何か体調が悪いと母親に「仁丹飲んどきゃぁ!」と言われたものです。 まさに昭和を代表する家庭薬です。懐かしいですね、あの小さな瓶。 薬効は、、、 悪心嘔吐、消化不良、めまい、暑気あたり、乗物酔い、

マグドナルド日本上陸の日

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ266枚目 日本に初めてマグドナルドができたのは昭和46年の事。 銀座4丁目の三越1Fにテイクアウト専門店としてオープン。 開店当初から大盛況だったような映像も残っているが、実際は歩行者天国の日などは盛況だったものの、意外にも平日は客足もさほどではなく、がらんとしていたという声もある。 開店当初の値段はハンバーガーが80円、チーズバーガーが100円だったと言うからさほど高くはなかったのではないだろうか? (調べてみると、当時、東京都内

お餅の思い出

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ264枚目 昨年末にも火鉢の記事でお餅のことを書いたが、子どもの頃は本当によくお餅を食べたものだ。僕はお餅が大好きだ(笑) この歳になると人生全体で子どもの頃の方が圧倒的に短いのだが、お餅を食べた記憶の大半が何故か子どもの頃のものだ。 その殆どが祖母や母親と火鉢の炭火で焼いた餅の記憶で、本当にあれは美味しかった。 我が家は母方の在所の農家に頼んで餅をついて貰っていた。 小机ほどの大きな板状の餅が届くと二、三日おいてから四角く切り分け

知的パズル・ルービックキューブ大流行

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ263枚目 6色からなる54個のマスによる不思議な立方体が売り出されたのは昭和55年(1980年)のこと。 このかつて無い独り遊びパズルゲームは発売されるや世界中で大流行。 もちろん我が日本でも! 皆さんは、やった事がおありでしょうか? これは、ハンガリーの建築学者ルビク・エルネーの考案によるもので、人類の歴史開闢以来誰も遊んだことのないゲームでした。この不思議な立方体に取り憑かれた人々はこぞって難題に挑み、世界ルービックキュービスト

「私をスキーに連れてって」だった時代

「僕の昭和スケッチ」261枚目 「もはや戦後ではない」と後藤誉之助*が経済白書に記した昭和31年から少し遅れて昭和36年、スキーブームが到来した。 それは政治家の言葉ではなく、ようやく庶民にもこの言葉が肌で実感できる「スポーツの時代」の到来だった。この年にはスキー客が年間100万人を突破したと言われている。 この頃は若者たちがスキー板を担いで夜行列車でスキー場に向かうという時代。ゲレンデをテーマにした加山雄三の若大将シリーズ「アルプスの若大将」(昭和41年)も大ヒット。

火鉢と炭火の思い出

「僕の昭和スケッチ」261枚目 岐阜にある僕の実家は商売をやっていたので店にはコークスを使うストーブがあった。けれど、奥の住まいにあった暖房器具は火鉢だけだった。 それは一階の八畳間に一つ、三畳ほどの食事をする部屋に一つ、二階は三部屋あったが火鉢は一つだけ。祖母がいつも背中を丸めてあたっていたのを覚えている。 火鉢の暖房というのは今時の暖房とは違い、部屋中を暖めるというには程遠いものだ。けれど、子供の頃からそれで過ごしていたので、冬は寒いものだと思って育った。 その火

雀が絶滅危惧種って本当!?

「僕の昭和スケッチ」259枚目 雀は今絶滅危惧種に指定されています。 これは悲しいかな本当のことのようです。 昭和の頃までは、農村はもちろん、都市部でも街中の屋根瓦の上や歩道を飛び回っていた雀です。思い起こせば、僕がこのマンションに越してきた頃は小さな庭やベランダに確かに雀たちは遊びに来ていました。 しかし、そう言えば最近庭で庭で雀を見た記憶がありません。 雀にまつわる言葉 雀は人の住居のすぐ近くに暮らしており、人との関係も深く、古くから俳句などにも読まれていました

昭和はスパイ映画大流行の時代「007シリーズ」

「僕の昭和スケッチ」257枚目 昭和はスパイ映画大流行の時代で、それは「007」で始まった 1962(昭和32)年のことだ。 おりしも、米ソ冷戦の真っ只中。そんな世界情勢をバックボーンにイアン・フレミング原作による007は颯爽と登場した。 邦題は。「007は殺しの番号*」。 殺しの許可証を持ち、ハンサムで所作がスマート、加えてウイットな側面も合わせ持つ男、というキャラクター設定は、それまでにない斬新なもので僕を含めたくさんの男どもがこのジェームズ・ボンドに憧れたものだ。

カセットテープで音楽を聴いた頃

「僕の昭和スケッチ」254枚目 ラジカセとカセットテープで音楽を聴くのが大流行となったのが1980年代、昭和で言えば50年代から昭和末期の頃だった。 「カセットテープはTDK!」🎵 なんてCM、記憶にある方も多いのでは(笑) TDKは、元は「東京電気化学工業株式会社」。 それを、東京(Tokyo)電気(Denki)化学(Kagaku)の頭文字をとって、1983年にTDK株式会社となったもの*。SONY、Maxellと共に人気のカセットテープだった。 カセットテープは取り

「雨の匂い、土の匂い」

「僕の昭和スケッチ」251枚目 雨の匂い 雨が降り始めると雨の匂いがする。 雨が降り始めると土の匂いがする。 子どもの頃は、特にそうだった。 それは、すぐに消えてしまい、忘れていると又風に乗って来る。 それは、どこか懐かしく、いい匂いで、僕らの暮らしと共にあった。

「チーコ」三途の川の手前から戻った文鳥

「僕の昭和スケッチ」250枚目 昭和50年代は、文鳥ブーム。 僕も子供の頃に文鳥を飼っていた事がある。 仲が良かった親戚の叔父さんから譲ってもらったのだ。 文鳥は今も人気がある小鳥だ。 チーコ 僕が飼っていたのは、小4の頃だったと思う。 名前は「チーコ」、よくある名前だ(笑) 穏やかな性質の桜文鳥でよく慣れて、いつも一緒に遊んでいた。 学校が終わるとチーコと遊ぶために一直線に家に帰ったものだ。 けれど、ある日異変が起こった。 夜、鳥籠からチーコを出していつものように

駅弁の思い出「小鯛の笹漬け」

「僕の昭和スケッチ」248枚目 駅弁は楽しい旅の友だ。 僕にとってのそんな楽しい駅弁の思い出は何といっても「小鯛の笹漬け」。 若狭名物だ。 僕は岐阜の生まれで、昭和40年に初めて若狭湾に泳ぎに行った。 若狭は岐阜市から北西に位置し、波穏やかで美しい海だ。 泳ぐだけでなく、キスやコチ、カワハギなど沢山の小魚をよく釣った。 驚いたのは手のひら程の小鯛が釣れた時。 なんて綺麗な魚だろうと思ったものだ。 その小鯛は駅弁にもなっていた。 「ものすごく美味しいもの!」という訳では

懐かしの駄菓子屋昆虫採集キット

「僕の昭和スケッチ」247枚目 小学生の頃、夏休みになると、よく昆虫採集キットを買った。 大抵は駄菓子屋に置いてある安物だ。 防腐剤や注射器が入っている。 そして、昆虫をせっせと捕まえて、防腐剤を注射器で打っては採集箱にピンで刺して並べる・・・標本作りだ。 男子なら皆やった経験があり、美しい昆虫標本作りは男子の夢だ。 だが、この採集箱は夏休みの終わり頃になると必ず変な匂いを立て始める。 理由は簡単なことで、こういう駄菓子屋で売られていた採集キットに入っている防腐剤は