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「歩行者天国」人優先社会へのターン
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ269枚目
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歩行者天国の大規模なものは昭和44(1969)年北海道旭川市が最初。
(北海道、スゴイ!)
翌年には銀座、新宿、池袋など東京に引き継がれました。
その銀座では初年度何と80万人近くの人出(8月2日)。
何と、甲子園球場の収容人数の約16倍です!
「車を道路から閉め出そう」というこのホコ天の試みは、車優先社会から「車より歩行者が優先」という現在の社会意識へと向かうターニングポイントとも言われています。
昔の風潮
横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる場合、車は一時停止する義務があるのですが、それは昔から中々守られない道路交通法でした。
法律で歩行者優先が定められているにもかかわらず、、、
「車が途絶えたのを歩行者の側が見計らって横断する」
という社会の風潮がありました。
つまり、車優先の意識が社会の底に流れていたのです。
個人的な話ですが、僕は小4の時に実家近くの大きな交差点を自転車で直進しようとして左折する乗用車に巻き込まれるという事故にあったことがあります。
幸い怪我には至りませんでしたが、運転していた男性は自転車ごと倒れた僕に車を降りて近づくと臆面もなく僕に言ったのでした。
「大丈夫か、ぼうず! 危ないから気をつけなきゃ駄目じゃないか!」と。
言うまでもなく、気を付けなければいけないのはこの運転手です。
しかし、当時はそんな耳を疑うようなセリフが平然と大人の口をついて出る時代だったのです。
車の排気ガスによる大気汚染の問題とも重なり、そう言った車社会にようやく疑問を投げかけ始めたのがこの頃で、歩行者天国はそうした時代の謂わばシンボル的なイベントでした。
残念ながら現在でも道交法を守らない運転手が「避けられるはずの事故」を誘発しているのは大変腹立たしいことです。
<歩行者天国は楽しくて良いのですが、マスコミのお祭り気分に偏った余りに能天気な報道によって本来のメッセージを損なってしまったように思います. 残念なことです.>
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(©2025Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)