不思議じゃない国のアリス症候群の人たち【読書記録】「地球星人」(著:村田沙耶香)
常識でガチガチになった頭を小説でもう一度柔らかくする。
小説(特に純文学)の魅力は読むと頭がスッキリすること。自分でも気づかない間に“当たり前”という常識でガチガチなった頭が柔らかくなります。
そういう時に特に読みたいのが村田沙耶香さんの小説。破壊力がありすぎてガチガチになった頭が粉々になること間違いなしです。
今回のnoteはその村田沙耶香さんの小説の中でもっとも狂っていると評判の「地球星人」を読んで自分の中に生まれた感情を記事にしていきます。
このnoteでは、書評を中心に読書に関する記事を発信しています。ぐちゃぐちゃになった頭の中を読書で整理してみると、それだけで人生がラクになります。人生をラクにする1冊を紹介するnoteです。
魔法少女からポハピピンポボビア星人になった子供
主人公の奈月(なつき)は34歳。
恋愛や働くこと、子供を産むことを強制する世間になじめず、その条件を前提にネットで見つけた夫と性行為なしの婚姻生活を送る。
会社をクビになった夫とともに田舎の親戚の家を訪れた奈月は、いとこの由宇(ゆう)に会う。小学生の頃、奈月は「私は魔法少女。」、由宇は「僕は宇宙人。」とお互いの秘密を打ち明け、たった二人だけで結婚式挙げていた。
その夫婦が約20年ぶりに、お互い大人になって初めて再会する。
由宇と結婚式を挙げた子供のころの奈月はまるで「子供は大人の所有物」のよう。
子供の頃の奈月が考えているのはどうすれば母親から見捨てられないか?
大人になるまで生き延びる。
恋人であり夫婦である由宇とそう約束した。だから奈月は魔法少女となる。
大人になるまで生き延び、自分の身体が自分の所有物になると、その次は「社会の道具」になることが求められる。
その社会とは働くことと、子孫を残すことで回っていく人間を製造するために人間を部品とする「人間工場」のこと。
でも奈月は他の人ほと働けないし、恋愛もできない、子供も産めない。人間工場の部品としては欠陥品だ。
それは奈月が地球星人ではなくて魔法少女でもなく、ポハピピンポボビア星人だったから。
だからいつまでも地球星人とはうまく馴染めない。
由宇はハローワークに行くつもりだ。仕事を見つけるため。戸籍上の夫の智臣くんはそれを洗脳されているからだと言う。
同じポハピピンポボビア星人で子供の頃に結婚をした由宇は洗脳されてちゃんと地球星人になろうとしている。でも戸籍上の夫の智臣くんはそうじゃないらしい。
奈月はどちらだろう?
ひょっとしたらそのどちらにもなれないのかもしれない。
「子供と大人」、「自分と社会」という対立構造
この物語に感じる基本的な対立構造は”子供と大人”。
まず”自分と他人"という対立構造があって、その対立構造に対して人は”答え”を出そうとする。
子供の頃の奈月は、大人の所有物としての子供がその現実から自分を守るために魔法少女になること。
その魔法少女が大人になって社会の一員になると、次はポハピピンポボビア星人となること。
でも自分の中にある”子供と大人”の対立構造にはどうしたらいいかがまだわからないみたいだ。
自分が知らないことや想像を絶するほどの広い世界に直面した時、それに混乱しながらも物語を自分で用意する。
奈月の場合はそれが"ポハピピンポボピア星人と地球星人"。この奈月の物語は異質のように見えても、"自分と他人"という対立構造としては他の地球星人とも違いはないのかもしれない。
無意味でいる自由
奈月はまるで不思議じゃない国のアリスだ。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の主人公のアリスは、迷い込んだ不思議の国で”無意味でいる自由”を手に入れる。
それまでの常識がいっさい通用しない不思議の国に迷い込んだアリスは、次第に目の前で起こる荒唐無稽なことを徐々に素直に受け入れるようになる。そしてそんな自分に疑問を持たず、その自分を他人に説明することも考えなくなっていく。
アリスは一度手放した”無意味でいる自由”を不思議の国でもう一度手に入れる。でも奈月は自分ではない存在に対して無意味ではいられない。他人に対して自分が何であるかを自分の言葉を使って精一杯説明しようとする。
奈月のように”自分と他人"という対立構造が重くのしかかってくるときもある。そういう場合は不思議の国に迷い込むとラクになるのかもしれない。
オススメです。
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