気ままに読書録「蜜蜂と遠雷(恩田陸)」
すごい、最高。
最後の一文を読み終えた時、真っ先に頭に浮かんだのはこの一言だった。
私は小さい頃からピアノを弾いたり、学生時代にはオーケストラに入ったり、そんな生活をしてきた。素人だし、アマチュアで、ただの趣味なんだけれども。
でも、それでも、何となく物心ついた時から音楽は近くに存在していて。だから音楽系の小説に出くわすと、何となく気になる。
けれど、いざ読んでみると、文字では音がないのが物足りない。やっぱり音楽の物語は音があってなんぼや。
そんなわけで、普段はドラマや映画は原作小説派なのだけれども、音楽系のものだけは映像作品の方が好きだったりする。
だから、「蜜蜂と遠雷(恩田陸)」も手にとってはみたものの、最初はあまり期待していなかったというのが正直なところ。けれど、読み始めてすぐに「音楽の物語は文章よりも映像」理論は見事に覆された。
この本の一番のすごさは、私の耳には絶対に聞くことができない音楽の世界を、文章の力で聞かせてくれたことだ。
実際にピアノコンクールで演奏を聞いたとしても、私にはこんなにも詳細に一つ一つの演奏を聞き分けることはきっとできない。それが、この本ではできる。
文章でも音楽をここまで表すことができるのだ。というよりも、文章だからこそ、音楽をここまで表すことができるのだ。感動。
この本のピアノ演奏の描写で最も秀逸だったのは、マーくんのリスト、ロ短調ソナタのくだり。
マーくんはこの曲を一つの物語として演奏した。それも、血生臭い、生き別れた双子の兄妹の悲劇の物語として。そして、一つの曲を完成させていく過程を、大きな屋敷を地道に一人で隅々まで掃除していく様になぞらえた。
音楽は奥が深い。けれど、どのように奥が深いのか。その答えがこの本の各所に散りばめられている。
このロ短調ソナタのくだりは、その答えの一端で、抵抗なくスッと自分の中に入ってきて浸透した。そして、浸透したからこそ、マーくんのこのロ短調ソナタかける半端ない熱量が伝わってくる。コンテスタントにとっての3次予選が何なのかがわかる。
そして、もう一つ衝撃的だったのは、何といっても風間塵の存在。
恐らくプロやアマチュアに関わらず、クラシック音楽を演奏する人のほとんどが、作曲者の意図を組んで演奏することを当然だと思っている。風間塵はこれを根底から覆すような存在で、だからこそ、ホフマン先生の推薦状は審査員への挑戦状だった。
作家の恩田陸さんは現在のクラシック音楽界へ一石を投じたかったのか?その意図は私の理解の範疇ではない。けれども、風間塵を書くことは、それなりの勇気と覚悟が必要だったのではないかと感じる。
世界はもともと音楽に満ちている。そこから音楽を取り出す。そういう発想が現代にもあっていいのかもしれない。もっと自由に演奏しても、楽しんでしまってもいいのかもしれない。
そんな風に思わされた。風間塵が途中で落選することなく本選まで進むことができて、なぜだろうか、少しホッとした。
他にも、あーちゃん、マーくん、風間塵、明石さんのピアニストとしてのキャラクターの違いや、それぞれの演奏の個性が深くてリアルだったり。
1番目のコンテスタントが3次予選で急に大コケしたり。ジェニファ・チャンのような、上手いけれど上手いだけのコンテスタントがいたり。
審査員や調律師などのコンクール運営側も緊張感を持って臨んでいたり。
現代にもショパンやラフマニノフのようなコンポーザー・ピアニストがいてもいいじゃないかと気が付かされたり。
語りだすとキリがない。
未知の音楽の世界を聞かせてくれた、この本に感謝したい。ブラボー。