HSPであることを心地良く受け入れられた
気にし過ぎだって。
もっと目の前のこととか、自分のことに目を向けたら?
夫にそう言われた。
え…だって気になるんだもん。
そうしたいだけなんだけど。
いいじゃん。
そう言いながらも、また私やり過ぎ?って不安になった。
夫には、私のHSP気質を理解してもらっているが、否定されたような感じがして悲しくなった。
しばらくショックを受けていたけど、うるさいわ!って心の中で思った。
怒りというよりは、違うんだから仕方ないじゃんって感じ。
夫と私は真逆なくらい違う。
違うあまり、否定したくなることは分かる、正しさの争いも起こる、私だってそう。
だけど、私は気になるんだよ、というより、そうしたいんだよ!何がダメなんだよ!って。
やはり、怒りか。
気にしない人は、気にし過ぎる人を見ているとイラつく。仕方ない。逆も然り。
でも、その怒り、何で気にしちゃダメなんだよ!という思いは、次第に私自身の味方になっていった。
仕方ないよね、そういう気質なんだから、それが私なんだから、ね!という、自分自身への頼もしい励ましとなった。
私が私のHSP気質を心地良く、完全に受け入れられた感じがした。
すごくホッとしたし、涙が出た。
私はそもそもHSP気質だったけど、それを他人との決定的な違いと感じ、コンプレックスとなった。
みんなと違うという後ろめたさがあり、こうしたら生きやすくなるかも、悪目立ちしないかもという、たくさんの処世術を身につけた。
成功体験もたくさんあってか、こっちの自分が本当の自分なんだと思い込むようになった。
ただ、自信や生きやすさを実感しながらも、時々感じる違和感。
それは、本来の自分が自分を生きられていないから感じるものだった。
苦しい、どうしても嫌だ、やりたくない、耐えられないと、暴れ出す。
その暴れ出したものは、気持ち、心だけでなく、体にだって現れていた。
その後、HSPという言葉に出会ったとき、とても救われた。
とは言っても、やっばりそうじゃない方が生きやすそう、という思いが拭えなかった。
自己受容という言葉に出会い、それに取り組みながら、HSPの良い面にも目が向くようになった。
そのおかげで、HSPであることの恩恵も徐々に感じられようになっていった。
長い時間をかけて受け入れられるようなったHSPという気質。
そこには、光の面と影の面の両面あって、どちらも私には必要なものだったみたい。
指摘されて、ヘコむのも仕方ない。
そう腑に落ちた。
知らないことを知る大切さも身に染みている。
これからは、もっともっと愛おしい気質になりそうだ。
そして、夫に対しても、怒りは全くない。
むしろ、ありがとう。