『無門関』第十三則 徳山托鉢
本則口語訳
徳山禅師が何を勘違いしたのか鉢を持って食堂へ入ってきた。
食事係の雪峰がそれを見て「鐘の合図は鳴っていません、太鼓も打っていません。鉢を持ってどうしたのですか」と言った。
徳山はなにも言わず部屋へ帰っていった。
雪峰がその一部始終を巌頭に話した。
それを聞いて巌頭は「わが徳山禅師も未だ末後の句を体得していないであろうか」と言った。
この話を耳にした徳山禅師が巌頭を呼びつけ「君はわたしを認めていないのかと」詰問した。
すると巌頭は徳山禅師の耳元で一言はなすと、徳山禅師は了解した。
翌日、徳山禅師は修行僧を前にして提唱を行った。
ところがこの日の提唱はいつもの時とははっきり違っていた。
巌頭は提唱が終わるや否や手をたたいて大笑いをして言った。
「さすがに徳山禅師だけあって末後の句を公にした、これで禅の歴史を塗り替えるだろう」
解説
この「徳山托鉢」は『無門関』で難解と言いわれる中でも一番難解であるので一筋縄では解けない。
柴山全慶禅師の『無門関講話』によると柴山禅師の調べた限りにおいて「この一則を正しく明快に提唱したものはほとんどない」と言い切っている。
そうなると、おそらく数百年は解明されていないことになる。
それでは今解明しておかないと永遠に「徳山托鉢」は埋もれて行くことになる。
と言うわけで重要なヒントを公開することにした。
それは西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』の理論でもって理解することである。
何か難しそうに考えるかもしれないが至って単純であるから安心してほしい。
「私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。
かかる世界は作られたものから作るものへと動き行く世界でなければならない。」
「絶対矛盾的自己同一として作られたものより作るものへという世界は、過去と未来とが相互否定的に現在において結合する世界であり」
この様に『絶対矛盾的自己同一』においては「絶対矛盾的自己同一」と言うことばと「作られたものより作るもの」が数え切れない程出てくるのである。
最初の「絶対矛盾的自己同一」というのは自己は過去から未来に向けて進んで行くのであるが、
過去と未来は方向として矛盾でしているというのである。
そして現在はその矛盾を含んだ中間にいる自己であるというのである。
そして「作られたものから作るものへ」というのは、自己とは両親や社会によって「作られたもの」であるが、
それ自体が社会を作っているのだと言うのである。
自己にとって社会とか世界はすでに存在しているのであるが、
自己の認識なくして自己にとっての社会は存在していないも同然なのである。
だから認識すると言う働きは自己にとっての社会を作ってゆくのだと考えるのである。
ここで当然認識とは言葉による状況の理解であるが、言葉とは社会の文節である。
それについては具体例を取り上げるので理解できると思うのであるが、単純すぎて意識しないので抽象的に表現したのである。
無言劇について
無言劇を辞書で調べるとパントマイムと訳されるのであるがそれとは意味が違うので注意してほしい。
無言劇とは夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる造語であるので辞書に載っていないのである。
無言劇じたいが現代社会に認められておらず認識されていない現象であるため無言劇が辞書に載っていないのである。
現象自体は存在しているのであるが、目に見えないため言葉として文節結合されていないのである。
フロイドはこの現象に感情転移という造語を与えている。
西洋では宗教の神の愛をその現象に当てている。
このように現象自体が「作られたもの」で有っても言葉が無い時言葉を作ることを、「作られたものから作るものへ」と表現するのである。
「徳山托鉢」全体が無言劇そのものと考えてほしいのである。
禅においては老師と修行僧の人間関係が大きくその修業に影響するのは言うまでもない。
会話はほとんど無いに等しいが、その無言に意味があるのである。
もちろん禅の提唱であるからにはメインテーマである「自我」を対象としており、
その無言の会話を三人の禅僧に例えて役割を与えて演じさせているのである。
幼少期は実際の対話であったものが大きくなると無意識になってゆくのである。
ママだれだれ君と遊んでもいい、とかブランコしても良いとかいちいち許可を得てから遊んでいた習慣も、
小学生になると離れて生活していることもあり声に出さなくなってしまう。
しかし大人になっても善し悪しを判断するときには知らず知らずのうちに誰かにそうだんしているのである。
それは文化であり、習慣、仏、神などに相談しているのであっても意識することは無い。
あるいは理想とする人物のこともある。
公案においてはもちろんお釈迦さまであり、お釈迦さまを理想としてお釈迦さまに相談するのである。
それは誰でも良いのであって身近にいる友人であったり、教師であったり先輩だったりする。
あるいはニーチェであったり、坂本竜馬であってもいいのである。
この様な仮想の人物との会話を無言の会話というのである。
まずなぜ、「徳山はなにも言わず部屋へ帰っていった。」のであるか、
普通なら師である徳山禅師に雪峰が「鐘の合図は鳴っていません、太鼓も打っていません。鉢を持ってどうしたのですか」などとは言ったりはしない。
そのような失礼な態度に関わらず徳山禅師は無言で帰っていったのである。
禅の老師と言えば修行僧にとってはとても恐ろしい存在である。
言うか言わざるか迷ったはずである。
だから止むを得ず覚悟のうえで失礼なこと言って仕舞ったのである。
礼儀や規律の厳しい上下関係においては当然叱咤は覚悟していて、
次の段階ではどの様に謝ったらいいものかと答弁を用意していたところが肩透かしを食らったのであった。
何時もだったら痛棒を食らう所であった。
この時点においては会話に発展することはなかったのであったが、
この話を雪峰が巌頭に話すと何時しか徳山禅師の耳にも入ったのであった。
それでは何故雪峰が巌頭に話をしたのか、徳山禅師との会話が切断されたのでそれを解消しようとしたのであった。
雪峰が徳山禅師に食事の合図はまだですよと言った判断が正しかったのか、間違っていたのか知りたいために巌頭にそれとなく話したとかんがえられる。
問題意識が無かったら巌頭に話す必要はないからである。
しかし判断は人や神に相談すべきものでは無く自ら判断するものだと、この無言劇はいうのである。
末後の句とは絶対権威を意味していて徳山禅師は雪峰にそれを教えられなかったいうのであろうか。
ところが本当は教えられなかったのでは無く、あえて教えなかったのである。
徳山禅師によって与えられた状況「作られたものから」自ら新たな状況を「作るものへ」と工夫せよという公案なのである。
無門の評語の口語訳
もしこれが末後の句であれば、巌頭も徳山もゆめにも見たことがないであろう。点検したところ棚の上に置かれた操り人形のようなものであった。
これは教えを乞うようでは自我とは他者による操り人形のようなものというのである。
参考引用
『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社
青空文庫
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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