短歌21 もう「頑張らない」と決めたんですよね〜。
昨日、新任管理者向けの社内研修に参加しました。
コロナが流行りだした年に管理者となった社員10名ほどを対象にした研修会です。
コロナ禍の危機から、会社も社員教育をする余裕がでてきたのでしょう。
2年前、突然嵐の海に投げ出された私にとっては、だいぶ遅すぎた救助の浮き輪のようでした。
しかし、期待もうらはら。
私はもっと精神的な支えになるような研修を望んでいたのですが、参加した他の管理者の方々は、みなさん口々に「実績を戻すために・・・」とか「チームで協力して・・」とか、毎月の定例会議でも話し尽くして分かり切ったことを最終的な決意表明として発表されていました。
そして研修会を開催した本社の人事・役職者の方々は、
「コロナを言い訳にせず、大変だったのはあなた達だけでなく、部下や取引先の方々も同じです。みんなを助けるのが管理者であるあなた達の役割。仕事は楽しまないと損です・・云々」と励ましたつもりなのか、または喝を入れたのか、分からない言葉で締めくくられました。
今日までの私の2年間は、「仕事を楽しむ」なんてこととは真逆な、苦しみだけの2年間でした。
それでもなんとか、今日まで頑張ってきたのです。
「仕事が楽しい」という感情は、新しい何かを生み出そうという意欲、この苦労も何かの役に立っているんだという肯定感から生まれます。
2年間の私の仕事を振り返ってみれば、「終わらせるための仕事」と「トラブルを収束させる仕事」ばかり。
新しく生み出したものなんて一つもなかったのではないか・・・。
だから仕事が楽しくなかったんだなぁとあらためて気付きました。
https://note.com/mym3/n/nefbfb2171b11
先日のnoteで今後の生き方をつぶやいたとおり、今はゴールを決めた最後の仕事を気持ちよく終わらせるため、モチベーションを保って働いています。
素直に言えば、今の定職を手放すことや、正社員であるという安定を手放すのはすごく不安です。
もう少し頑張れば、それなりに続けていけるのかもしません。
そんな気持ちが汚染水のように私の心の奥底に淀んでいることも分かっています。
1年ほど前、私が詠んだ短歌があります。
実に、私の心はその頃からもう離れて行こうとしていたのです。
今日はワクチン3回目接種のため、仕事を休んでいます。
午前中はカフェにてこのnoteを執筆中。
仕事をしていない日はストレスからも開放され、誰かに腹を立てることもなく、幸せの感情に満ち足りています。
退職を告げる日を夢見る私。
その時は、「1年以上まえから、頑張らないと決めていたんです」と言おうと思っています。
今の私の変なモチベーション😀