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「みんなとは生きている世界が違うのかも」とずっと感じてきたから見える世界

「もしかしたら私は、
みんなとは生きている世界が違うのかも、、」

小さな頃から、そんなことは
薄々感じていました。


現実的に生きている世界は
もちろん同じなのですが、
見ている世界が全然違う、という感じ。


「これ面白い!!」
とおもって
ひとりで本を読んだり、何かに取り組んでいると、
あっという間に数時間経ち、

その間に、
友達は外遊びも、内あそびも、
おやつも、おしゃべりも終えて、
帰り支度、みたいな。



ありがたいことに、
周りにいは友達はたくさんいてくれて、

でも、
恋愛やアイドルや芸能人の話などなど
興味のないことも多く。

それでも、

「これって『うん、わかるー!』って
言っておいた方がいいやつよね」

ということだけは頭で分かるから
話は合わせることができたり(笑)


高校卒業する時には
「みんなのこと大好きだけど、
もう、なんだか住んでいる世界が
本当に全然違うかも!!」
ってよく分かっていました。


だから、高校の卒業旅行は
ひとりでマザーテレサに会いたくてインドに。


それでもこれから大学生になるし、
これから社会人にもなるし、

「なんとかみんなの住む世界に馴染まないといけないよね」

という気持ちで
周りの子の様子を見て学びつつ、

それでも
「やっぱりなんか違うんだよね」という気持ちは強く、

逃げるように
インドに行ったり、
世界各地をバックパッカーでひとり旅をして
瞑想したり、
私に生まれた意味を教えてくれるグル(教師)を探したり(笑)


日本にいる時には感じられない、
解放された心地よさを感じつつ
居場所探していましたね。


そんな世界を行き来していたので、
いったい何が正しいのか、なんてまったく分からず、

「私って誰なんだろう?」
「私は私のままではダメなんだろうか?」

なんてことをよく考えていました。



それでも、
周りの人がしていることを
真似して習得することは得意でしたし、

周りや先輩やお客様が求めることも
察することはできるので、

仕事でもなんでも
そこまで苦労はなかったのですが、

それでも、
みんなの世界にある暗黙の了解みたいなものが
私の世界とは違うものばかりで、

みんなと一緒にいるのに、
みんなとは同じ感覚になれないし、

やろうと思えばできるけど、
その世界に住むことは難しいな、と思うことばかりでしたね。




今、自分が「この世界」を生きるために、
なんとか笑顔で
必死に周りと合わせて生きていくのだけど、

それでも、
本来の自分にはそれが苦しくて、

時々、自分を取り戻すかのように
バックパックひとつで旅に出て、
瞑想をしたり、大自然を感じたりして
自分を保っていました。


あの時は周りの友だちも大人も、

「仕事して、お金を貯めて、海外に遊びに行って、人生謳歌しているね!」

なんて言ってくれていましたが、

実際の私は
そうでもしないと、
「自分が一体誰なのか」も
もう分からなくなってしまいそうだよ、というのが本音。


この、
どうやっても苦しい、この感覚を
分かってもらいたくても、

「仕事なんて、みんな大変だよね」の言葉で
終わってしまうことも多く、
途中からは、誰にも何も言わなくなりました。


いつも、

「私は私のままでいい。あなたはあなたのままでいい」と

そうやって笑い合える優しいコミュニティの中で
生きていきたいな、と思いつつ、

なかなかできないでいたのは、
日本にもそういうコミュニティがなかったわけではなく、

そんなコミュニティも、
そんな友達もいっぱいいてくれたのに、

私自身が「私は私のままで生きていいよ」と
自分に許すことができなかったから。



海外にでると、
私は私のままで大丈夫なんだ!と思えて、
安心できたのに、

日本に戻ってくると、
「私が私のままでいてはいけない、周りに合わせないと嫌われる!」と
反射的に警戒していました。


でも、それは

日本の社会やコミュニティに原因があるのではなくて、
私が私を許すことができていなくて、
私が私を受け入れることができていなかったから、

今、ここにある優しい世界や人たちを
観ることができていなかったのだと
今は分かります。



私たちの中にある恐怖

「嫌われたくない」
「間違えたくない(完全でありたい)」
「負けたくない(勝たなきゃダメ)」


これが怖くて、自分を守るために、
自分がさんざん傷ついてきた分、
もう傷つかないように、

頑なに手放せなかった
その恐怖は、

自分で自分を理解して、受け入れて、
本来の自分のままで生きて大丈夫、と
自分を許して、尊重することができてはじめて、
手放すことができました。



その時、経典で習った
頭で理解していた

私たちは「部分」ではなく「全体」である

の意味も、ようやく理解できた気がしました。



今、増えてきているといわれている「孤独」。




これは、家族がいるとか、いないとか
友達がいるとか、いないとかは
やっぱり関係ないのだと思います。


自分を理解して、受け入れて、
本来の自分で生きることを自分に許して、尊重して、
あとは全体に任せる、
これができたら、孤独を感じることはできないと思います。




誰もが、みんな
自分らしく生きることを、自分を尊重して生きること、を
少なからず望んでいるのだと思います。

そうではない人もいるかもしれませんが、
それでも、それをひっくるめて全部、

いろいろな生き方や思いを
許し合いながら、尊重しあいながら生きていけたら

この世界から
生き辛さとか、孤独とか、悲しみがなくなって
いくと信じています。



もっと自由に、もっと軽やかに、もっとシンプルに

すべての人が本音で生きられる社会に
誰もが生き辛さのない世界に。



そう思って
コアデザイン研究所を立ち上げました。



ひとりでも生き辛い
という思いから解放されて、
自分の世界で、
自由に自分の未来を描ける世界にしていきたいなと思います。


ずっと生き辛くて、
いったい私は、誰の、なんのために生きているのか
分からなかった人生でしたが、

でも、
その時間を意味のあるものにするために、

5000年もの間、人々に生きる意味や希望を与えてきた
アーユルヴェーダの叡智や、インド哲学の叡智を
土台にできた私の世界観で、

誰かや何かのお役に
少しでもたてることがあるのであれば、
できることを全部やっていきたいと思いますね。


それは、私の使命感に近いものがありますが、
小さな頃から、
ずっとひとりで抱えてきた辛さの意味は、
ここに繋がっているような気がしています。



もし、今、生き辛さを感じていたり、
家族も友達もいるけど、
どこか孤独やひとりを感じていたり、
生きる虚しさを感じている人がいたとしたならば、

その経験や辛さは
自分の強さに繋がりますし、
必ず、その経験は誰の役に立つ日が来るから大丈夫、と
伝えたいです。


そして、
7月からスタートしたCore塾

静かに自分と向き合って、
自分を理解して、受け入れて、
「ほら、本来の自分のままで生きて大丈夫」
と言い合える仲間が集まれたらいいな、と思って
創りました。

Core塾自体が
大きな何かをする場所ではありませんが、

安心して自分でいられる場、
安心して感じていることを話せる場
安心して戻れる場、

昔の自分が欲しかった場所を創ってみました。

どちらかといえば
インドの「アシュラム」のような静かな場ですが、
1日1回、自分と向き合えるそんな場にしていきたいと
思っています。


それでは、素敵な1日を♪

▶「Core塾」朝6時15分~瞑想会
自分と向き合い本来の自分に戻る、
インドの「アシュラム」のような静かな場所。
朝の「習慣」「言葉」「行動」を変え、
限られた人生の時間を丁寧に生きるための場です。
ご興味のある方はこちらから⇒


▶より自由に、より軽やかに「本来の自分を生きる」
「Core Design Labo(コアデザイン研究所)」

▶各種オンラインコースをご案内
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「本来の自分の望みを知り、叶えていくための4ステップ(音声)」
をプレゼントしています。


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2023年1月末までいっぱいになっており、
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(2023年2月分のご予約はもうしばらくお待ちください。)

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