「望み」が叶わなかったではなく、叶わない方を「自分が選んだ」が事実
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ああなりたい、
こうなりたい、
活躍したい、
愛されたい、など
私たちは自分の未来に
なりたい姿を描きます。
そうなりたい時、
私たちがやることは、
「そうなる」と「決めること」。
思い描いたイメージを
現実に具現化させるためには、
「決める」をすること。
決めて、そこに「ピン」を打つこと。
もし自分の思い描いた通りに
ならないのであれば、
それは、決めずに、
ほかの楽な選択肢に逃げてしまうから。
これを
心のグナ(状態)でいえば、
楽な道に逃げてしまうのは「タマス(惰性)」、
そして、
「決めて」そこに対して行動していくのは
「ラジャス(激性」です。
これは、
昨日のヴェーダンタの勉強会で
学んだことのひとつ。
私たちは、
本当はこれがほしいのに
失敗することを恐れたり、
人に嫌われることを怖れて、
出来ない理由をつけては、
そこから逃げます。
だから
その思い描いた状態が「手に入らない」。
手に入らない、のではなく、
自分がそれを選ばなかった、が正しいですね。
そして、
自分でそちらの道を選んだ事実すら
自覚がないため、
「やっぱり叶わなかった」
「やっぱり私には無理なんだ」
「私は運が悪い」
などと言います。
忙しい、お金がない、時間がない、
子どもがまだ小さい、
家族の問題が、
人間関係が悪くならないために、、、
などなどの言いわけが並びますが、
それらは、
全て表面的なことで、
ただ、
心が「タマス(惰性)」に傾いていて、
そこから逃げたい、になっているだけです。
自分と向き合うことを
避けるために
自分が自分のために用意した言いわけにすぎません。
自分が自分の世界を創る、
自分が自分の人生を決めていく、と
決断をしなければ、
私たちの人生は
逃げるために、言い訳ばかりになってしまいます。
言いわけばかりしていても、
何も手に入りません。
だから、自分が本当に得たいものを、
自分に最優先にさせてあげてください。
自分が本当に欲しい状態を
自分の望ませてあげること。
自分の本当に欲しいものは、
本来の自分が本当に欲しがっているものですから
必ず叶うようにできています。
なぜなら、私たちは分離した存在ではなく、
そもそも「全体」の一部ですから、
すでにそれは「ある」の状態だからです。
自分の人生は
人のためにあるのではなく、
自分のためにあります。
自分のために、自分の一番の望みのものを
与えることができなければ、
当然、人にも与えることはできません。
「あれさえ手に入れば、
あの時あれをしておけば、
もっと成長できたなら、
私はもっと輝けるのに!」
ではなく、
「今のなにもできない自分のまま
輝くことを受け入れる」
「今のダメな自分のまま
愛されることを受け入れる」
をするから、
欲しいもの、欲しい状態が手に入ります。
だから、こうなりたい、ああなりたい、という
未来への目標があるのであれば、
そこに「こうなる!」と「ピン」を打って、
そして、
そこから流れてくる「ヒント」を
拾い集めて、
今の行動に集中すること。
そうして、
自分にとって「怖い」ことに飛び続けること、
これは心のグナ(状態)でいえば
「ラジャス(激性)」の状態。
本来であれば、
私たちはいつだってサットヴァ(純粋性)で
あることが望ましいですが、
でも、サットヴァ(純粋性)に到達するためには
このラジャス(激性)の道を通らないと
たどり着かない、ということ。
自分の弱さと向き合あって、
怖さに飛び込み続けること。
本来の自分を生きる、というのは
ただ、じっとしていれば起きるものではなく、
欲しい未来を決めて、
自分の内側にある怖れをひとつひとつ手放していった時、
本来の自分を生きることができます。
大変だから、と言い訳をして、
逃げたり、誤魔化したり、楽を選んだり、と
タマス(惰性)の状態にい続けないこと、
ラジャス(激性)の状態で、
未来を決め、自分と向き合い、行動すること、
そして、
それをやりきった後には、
自然と私たちは
サットヴァ(純粋性)の状態になっていくのだと思います。
できるところから、少しづつ、ですね!