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”私たちの住んでいる世界は「幻想」である”の意味

昨日の

「私たちは片足を「真実(真理)」に入れ、
 片足を「日常(幻想)」に入れて生きている、


の中で書いていた


「日常(幻想)」という表現。


”私たちの住んでいる世界は「幻想」だ”

なんていう表現は
ここ数年、よく聴きますが、
これはいったいどういう意味でしょうか?


これは、

さっき食べたご飯は幻想だったとか、
今日やり終えた仕事はすべて幻想だ、とか

そういったことではないと思います。


ご飯は食べたし、
今日の仕事はやり終えた、
これは「事実」であり
実際に起きたことです。


でも、食べることも、仕事を終えることも、
ただ起きただけで、


それを行ったのは
「私」ではない、ということ。


ただ起きたこと、に
「私」をくっつけて

「それをやったのは私である」
という思い、
これを「幻想」と言っています。


たとえば、

苦手な友人への怒りも、
失恋での悲しみも、

怒りや悲しみの感情が起こっただけです。


そこに、
私たちはわざわざ
「私」という幻想をくっつけるので、

「私が怒っている」
「私が悲しんでいる」という
私の怒り、私の悲しみに、なります。


怒りも、悲しみも、苦しみも、
起きているだけで、

それを、自分で
「自分のもの」にしている、
ということになります。


怒りや悲しみや苦しみを

「怒りがここにある」
「悲しみがここにある」
「苦しみがここにある」


客観的に観て、観察することで、

怒っている自分や、
悲しんでいる自分、
苦しんでいる自分は、

存在できなくなります。

存在するのは、
それを観察している者だけです。


たまに怒っている時に、
ふっと、何かの拍子に

「あれ??なんで私こんなに怒っているんだったかな」
と思うことってないですか?

悲しくて、号泣している時に
ふっと、

「あれ?何がそんなに悲しいんだったかな?」と

笑えて来たり(笑)


この、ふっとしたこの瞬間が
「幻想」から一瞬解かれた時なんだと思います。


感情に振り回されて、
怒ったり、悲しんだりしている自分を
何かの拍子に、そこから離れて、
客観的に観えた時に、ふっと冷静になります(笑)


あれ?
なんで私、こんなに振り回されているの?という感じです。


本当は自分の感情ではないのに
自分のものにしているから
怒り狂ったり、深い悲しみや苦しみから
抜けられなくなっているだけです。


私も頭では分かっていても、時々ハマります(笑)


あ〜悲しい、、、とか
あ〜苦しい、、、とか。


でも、そうしてどっぷりハマっている自分に
「あっ」と気づいた瞬間に、

「またやっていた」と
そんな自分に笑えてきます(笑)


これは、頭で分かっていても、
なかなか
これが幻想と気づくことは難しい部分もありますし、

そのためには
普段の生活の中で
あらゆることを観察者として観る
習慣が必要になってくるものだと思います。

インドのあらゆる古典では
色々な方法でそれを教えてくれていますが、

それでも、
なかなかできないのが私たちなんだと思います。


頭で分かっていてもできないことは
身体から習慣から変えていく必要があります。

アーユルヴェーダやヨガ、瞑想の習慣は

私たちが「幻想」の中でどっぷりと生きて、
振り回され苦しむことから
助けてくれます。

できるところから、取り入れてみませんか?


またまた今日も、抽象的な話になりましたね(笑)

前回に引き続き、
伝わる方に伝われば嬉しいです。

では、明日もどうぞ穏やかで素敵な1日をお過ごしください♪


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