
【からだ#40】One Heart流 「さとり」の探求。万物の本質は「ただあらわれては消えていく」
こんにちは。
ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。
年明けてから、伊豆へ行ってきました。

特に初詣などの予定はなかったのですが、昨年(広島旅行)同様ホテルからの徒歩圏内に神社があったので、急きょお参りに行きました。
海辺にあるすてきな神社で、朝早く歩いて行ったのでまだまだ参拝されている方も少なく、心地よい空気感の中、ゆっくり境内を歩くことができました。

神社とは思えない。
本殿へ向かう参道の途中途中に”神さま?”からのメッセージ。
ここはお寺かな?と思ってしまうような不思議な空間でしたが、こういうメッセージはありがたいので、とつぜんおじゃまできたことへの感謝とともに、一段一段しっかりと踏みしめながら本殿へ向かうことができました。
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さて、今回は、有料マガジン『”差”取り(さとり)プロジェクト!ひとつの世界で生きていく』のnoteになります。
前回のnoteはこちら。
今回は、「般若心経」の教えの中にある「空」という考え。
「空っぽ」とはどういうことなのか?という点を深掘りしていきたいと思います。
とても言葉で表現するには難しい内容になっていて、
わたし自身、言葉でどのように表現しようかとても深く考えさせられました。
たとえを使ったり、質問を入れたりしながら、書いていこうと思いますので、よかったら最後まで読んでみてくださいませ。
✧˙⁎⋆参考にしているご著書です。
エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
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1. 「般若心経」。万物の本質は、「空」である。
音が沈黙なしでは、音にならないのと同じように、なにものも、「無」あるいは、「空間」がなくては存在できません。
いかなる物体も、肉体も、無から生じ、無に包まれ、いずれは無に帰っていきます。
それだけではありません。
どんな肉体も、「無」の割合が、「物質」をはるかにしのいでいるのです。
物理学者も、物質が固体であるというのは、幻想にすぎないことを証明しています。
わたしたちの肉体はもちろん、どうみても、固体にしかみえないものでさえ、100%近くが、「空っぽ」なのです。
個々の原子のサイズと、それら原子間の隔たりを比較すると、隔たりの方が、圧倒的に大きいからです。
それだけではありません。
なんと、原子の中身でさえ、ほとんど「空っぽ」なのです。
そこに残るのは、個体の粒子というよりは、ひとつの音に近く、バイブレーションみたいなものです。
仏教僧は、この事実を2500年以上も前に、すでにこの本質を説き明かしていました。
仏教の経典の中で、もっともよく親しまれている般若心経には、「かたちあるものは、すべて空であり、空はかたちである」とあります。
万物の本質は、「空」なのです。
「目に見えない世界」は、この世に沈黙として、存在するだけではありません。
それは物質界の内にも外にも「空間」として、あまねく広がっているのです。
「空間」も、沈黙と同じくらい、見落とされがちなものです。
空間の中の物体には、誰しも気づきますが、空間そのものに着目する人はいるでしょうか?
「空間」について。
物理の詳しい話はわたしもよくわかりませんが、
わたしたちの肉体が「空っぽに近い存在」だという考えには、
なんとなく納得できます。
量子力学の視点からも、物質は固定的なものではなく、「揺らぎ」や「空虚さ」を含んでいると理解されています。
そして仏教哲学の視点では、「空」という概念があり、これはすべての存在が「実体を持たない」ことを意味しています。
身体や物質は一見するとたしかなもののように見えますが、細かくみればすべてが因果関係で成り立っていて、常に変化し続けている一時的な状態に過ぎません。
次の質問にぜひ答えてみてくださいね。
わたしたちの身体は本当に『自分だけ』のものと言えるでしょうか?
昨日のあなたと今日のあなたはまったく”同じ”ですか?
わたしたちの身体は川のようなものだと思うんです。
水が絶えず流れるように、わたしたちの身体もエネルギーが流れ続けています。
中身は常に変わっているのです。
気分も同じで、落ち込んでいる時もあれば、気分がいいときもあります。
怒りや恐れといった強い感情は、
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