奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(6)民衆を苦しめた?②ー歴史授業の進化史・古代編
もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業②鞭と傷跡と罵倒
では、山下氏の授業の展開を見てみよう。
山下氏は「奈良のみやこ」というタイトルで三時間で扱っている。しかし、前掲書には「学習過程」「指導上の留意点」は二回分しか掲載されていない。あくまで推測だが二回目が二時間分なのか、または三時間目は子どもの作品づくりの時間にあてているのかもしれない。以下、前掲書より山下氏の示している「学習過程」を要点のみ紹介する。(135~137ページ)
一時間目。
①子どもたちが持っている貴族イメージを発表させる。
②物語「奈良のみやこ」を読み、感想・疑問を発表させる。
③時代と場所を板書する。
④奈良の大仏と東大寺の絵や写真を見せて、大きさを実感させる。
⑤大仏をどのように作ったか話し合う。
⑥大仏づくりに何年ぐらいかかったか調べさせる。
⑦大仏づくりに要した労働力、物資の量について話し合う。
ここで注意が必要なのは②の物語「奈良のみやこ」である。長文なので内容を何カ所か紹介する。(117~119ページ)
地上では、ねん土をこねている人たち、大きなもっこにねん土をいれてはこぶ人たち。こういった人びとがなん百人いることでしょう。まるで、さとうの人形にアリがむらがっているようでした。
ちなみに「さとうの人形」は造営中の大仏、「アリ」が工事に参加する人たちの比喩になっている。ここを子どもはどんなイメージで読むのだろうか。
監督の役人は、
「おそいぞっ!」
とどなっては、だれかれのくべつなしに、人夫のせなかに青竹のむちをあてるのでした。だれの肩にもせなかにも、むちの傷あとがなまなましくのこっていました。
むちと傷跡ー子どもたちに強い印象を残す過酷な強制労働のイメージだが、このような想像を裏付ける史料があるのか?疑問だ。
毎日のように、だれかが、事故で重傷をおったり、死んだりしました。
「死んでたまるか、くにで妻とおっかあがまっている。」
知人は、なにくそというように、ねん土を大仏の胸にたたきつけました。
前回の(3)ー①で紹介した子どもの物語作品はこの物語「奈良のみやこ」がベースになっている可能性が強い。子どもの書いた「ビシッ。」は「青竹のむち」であり、「なんだ、こんなもの。ちきしょう!!」は「なにくそというように、ねん土を大仏の胸にたたきつけました」という文に付けたセリフに合致する。
さらに山下は「指導上の留意点」として次のように述べている。
この時間は、大仏のスケール、大仏建立の手順のイメージをつくることを重点にしたい。ここがはっきりしてくると、つくらされた民衆の苦労が実感としてわかってくるようになる。
大きさを実感させることも、大仏建立の手順・時間・労働力・物資量を調べたりすることも「つくらされた」民衆の苦労を理解させるためであることがわかる。民衆の苦労を教えたいというのは理解できるが、その苦労の行き着く先が鞭と傷跡と罵倒であると教えるのは行き過ぎというものである。今や死語となったマルクス主義の歴史観、人民闘争史観が色濃く反映していることが見て取れる。