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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(21)日本人と天皇と王女クラリスー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(7)日本人と天皇と王女クラリス

 ここまでは戦後の「奈良の大仏」の授業の〝進化史〟を見てきた。

 これを踏まえて、今回(7)と次回(8)ではわが国の歴史教育への提言をしたい

 最後にご紹介した私の「奈良の大仏」の授業では冒頭に東日本大震災の画像を提示して導入とした。この東日本大震災の被災地を見舞う天皇皇后両陛下のお姿を見てそれまでの天皇観に大きな変化が起きたという人がいる。よくテレビにも出演している高校教諭であり歴史研究家でもある河合敦氏である。

 自ら膝をついて被災者一人ひとりに語りかける天皇皇后両陛下に対し、涙を流して感謝している人びとの姿が、テレビの画面に大きく映し出された。菅直人首相(当時)ら閣僚が来訪した時とは、まったく大きな違いだ。さらに両陛下は、津波で破壊された被災地を見下ろし、静かに黙礼した。そのお姿をテレビで拝見した瞬間、私の胸に熱いものがこみ上げてきた。なぜだかわからないが、ただひたすらに国民の平安を願う天皇という存在を「ありがたい」と感じたのである。これまであまり抱いたことのない感情に、戸惑いを覚えた。なんとも不思議なことであった。(河合敦『天皇陛下を見るとなぜ涙が出るのか』双葉新書 16~17ページ)

 私もまったく同じ感情を覚えたことを記憶している。河合氏と同じようにごく自然に「胸に熱いもの」がこみ上がげてきた。なぜこんな気持ちになるのか?

 皆さんは宮崎駿監督の『ルパン三世カリオストロの城』(原作モンキー・パンチ1979年12月15日公開)をご覧になったことがあるだろうか。主人公であるアルセーヌ・ルパンの孫ルパン三世とその仲間の2人ー射撃の名人・次元大介と名刀・斬鉄剣による居合の達人二十三代目石川五右衛門が活躍するアニメ映画である。ルパン三世たちは幻の偽札ゴート札をめぐってヨーロッパのカリオストロ公国に向かい、この国の王女・クラリスを助けて王女の指輪をねらう悪徳伯爵と戦うことになる、というストーリーだ。

 この映画を見て、私はあることに気づいた。
 それはわれわれよりも高貴だと感じる人の存在が民衆のエネルギーになりパワーになることがあるということである。なおここで高貴というのは単に「生まれがいい」という単純なことではない。深遠な歴史を背景に高い人間性を感じるという意味である。映画の中にこんなシーンがある。

 城に捕まっていた王女クラリスを救い出し、安全な場へと逃がすために次元大介と五右衛門は塔の上で多勢に無勢ながら追っ手に対峙する。危険な任務である。ルパンととも一旦は背を向けて去ろうとした王女・クラリスは二人のもとへ戻ってきて言う。
ー「みなさんどうかお気を付けて」「次元様も・・・」「必ず無事に戻って下さいね。御恩は一生忘れません」
 こう言って去って行くクラリスを見送りながら次元はつぶやく。
ー「次元様だとよ・・・」
 クラリスの言葉に一時だけ感傷的になっていた次元は次の瞬間には我に返り、
「さっ!おっぱじめようぜ!」
と迫る敵に向かって鬼神のごとく銃弾を打ち込み始める。
 五右衛門も塔から飛び降りると敵を切り裂き、敵に向かって啖呵を切る。
「今宵の斬鉄剣は一味違うぞ!」

 王女のセリフに感動した二人は明らかに王女にパワーをもらっている。
 これはクラリスが単に美しい、可憐な少女だからではない。高貴な身分にある王女が、泥棒一味にすぎない自分たちに礼儀正しい言葉で心の底から感謝を伝えてくれたからである。つまり二人は「ありがたい」と感じたのである。

 現代人でさえ感じる高貴なエネルギーは奈良時代の人たちならどれほど大きなものだったか、想像がつくというものである。当時の人間の宗教的なもの・超自然的なものへの強い感情を抜きにして奈良の大仏と民衆と天皇の関係を考えることはできないだろう(作家の井沢元彦氏が『逆説の日本史』シリーズ(小学館)で日本歴史学の三大欠陥のひとつとして「日本史の呪術的側面の無視ないし軽視」を指摘していることは重要である)。

 そもそも日本の歴史は天皇を抜きに語ることはできない。古事記・日本書紀の記述をそのまま信用すれば初代・神武天皇から数えて現在の今上天皇まで一二六代も続いている。イギリスの王室(ウインザー朝)が初代アン女王からエリザベス女王までたった四代であることを考えると異例の長さであることがわかる。一般には実在したのは十代・崇神天皇からと言われているが、それでも二千年近い歴史があるのは間違いない。それはそっくりそのまま日本の歴史と重なっている。

 とくに飛鳥時代から平安時代ぐらいまではその主役ともいえる歴代天皇がズラッと並んでいる。神話にある日本武尊は十二代・景行天皇の息子であり、世界最大の面積を持つ大山古墳の埋葬者と言われる仁徳天皇は十六代、初の女性天皇であり聖徳太子とともに国づくりを推進した推古天皇は三十三代、大化の改新の天智天皇は三十八代、聖武天皇は四十五代、平安京遷都の桓武天皇は五十代ーこうしてたどってみるだけで日本の歴史は天皇の歴史そのものなのである。

 その後も、南北朝時代の九十六代・後醍醐天皇や戦国時代の一〇六代・正親町天皇、幕末期の一二一代・孝明天皇そして明治天皇も日本史の学習から外せないだろう。さらに激動の時代を生きた昭和天皇も必須の歴史人物であると、私は考えている。

 日本の歴史を教えることは天皇の歴史を教えることである。そしてそれはわたしたち日本人を知ることにつながっている。

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