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鈴木誠『皇土防衛の軍民防空陣』・授業編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑪

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ



(4)鈴木誠「皇土防衛の軍民防空陣」・授業編ー戦争画を使った「戦争」の授業案 

鈴木誠『皇土防衛の軍民防空陣』1945

 戦時下の「空襲」は教科書では必ず取り上げられている。教科書の記述を見てみよう。

 アメリカ軍の反撃が日本の近くにまでおよんでくると、多くの都市が激しい空襲を受け、一般市民の暮らしも危険にさらされるようになりました。降り注ぐ焼夷弾によってまちは焼け野原になり、多くの人々の命がうばわれたのです。空襲は全国に広がり、約20万人もの人々がなくなりました。(『小学社会6』教育出版)

 何だかまるで他人事のような記述である。「焼夷弾」を語句として入れるなら欄外に説明を入れなければその残酷さは伝わらない。米軍による空襲は「多くの人々の命がうばわれた」からだけでなく、焼夷弾を使用して一般民間人をもねらう無差別爆撃であるところにその非道ぶりがある。

 中学校の教科書はどうか。

 爆撃は軍の施設や軍需工場だけでなく、国際法で禁じられている商業地、住宅地にも無差別に行われるようになり、民間人にもおびただしい被害をもたらしました。(『[新編]新しい日本の歴史』育鵬社)
 1944年7月、日本の委任統治領だったマリアナ諸島の一つのサイパン島が陥落しました。ここから日本本土を空襲できるようになったアメリカ軍は、同年末から爆撃機B29による民間人への無差別爆撃を開始しました。(『新しい歴史教科書』自由社)

 この2社の中学教科書では「無差別」爆撃であることを明記している。しかも自由社はサイパン島との関係についても記述している。これは戦争の学習上「戦地」と「銃後」の関係を教えるのに大切な観点だ。

 ここで提案する鈴木誠の『皇土防衛の軍民防空陣』の絵を使った授業は「無差別爆撃」がキーワードである。

 じつは私はすでにこのキーワードによる「東京大空襲」の授業を提案している(以下のブログを参照)。

 この時に使った主教材は西村繁男作の絵本『絵で見る日本の歴史』(福音館書店)のp56~57にある「1945年ごろ(昭和時代)」のページである。このページの絵は焼夷弾による空襲をイメージするのに適した内容になっている(ただし、この本の各ページに付いている解説には疑問があるのでこの解説は外して使用した)。なお下の絵は全体の左半分のみ。

①東京大空襲の絵(左側・メイン使用)

 今回の提案はこの絵本のページに換えて鈴木誠の絵を使う授業である(なお絵本は補助教材として使用する)。

 まず、授業が始まったら何も言わずに鈴木誠の絵を提示するところから始める。

『この絵を見て気づいたことをノートに書き出しなさい。後で発表してもらいます』

 絵そのものが緊張感あるシーンを描いているので、子どもたちも唯ならぬものを感じるだろう。この指示だけでスムーズに授業が始まると予想される。

こんな意見が出てくるだろう。

「火事を消している」
「着ている服が昔のようなので今のことではない」
「みんなで協力して火を消している」
「小さい子どもを連れて逃げているお母さんがいる」
「指示している人は軍隊の人かな」
「みんな真剣な顔をしている」

 以上は画面に描かれた人物に着目した意見だ。

「暗いので夜だろう」
「闇に光線が見えるけど・・・これは?」
「バケツで水をかけている」
「筵をもっている」
「女の人が二人で棒のようなものを持っている」

 バケツで水をかけ、筵で火の粉を消し、棒(鳥羽口)で建物をあえて倒して延焼を防いでいる、棒状のもので叩いて火を消している等―つまり、みんなで必死に火と戦っている状況であることを子どもたちに伝えよう。

 この絵を見てすぐに「これは空襲だ」とピンとくる子もいるかもしれない。だがもし子どもたちが「昔の火事現場ではないか」という意見から離れられなくなったら以下の情報を付け加える。

『ここに描かれているのはただの火事ではありません・・・この絵が描かれたのは1945年、昭和20年です』

 これだけで「空襲では?」と気づく子が出てくるだろう。教科書を見て終戦の年であること、空襲が激しくなった時期であることから気づく子もいるかもしれない。 

『これは戦時中に日本の都市を襲ったアメリカ軍による空襲のようすです』

 ここでB29爆撃機の画像を見せる。

画像1

『これはB29というアメリカ軍の大型爆撃機です。日本全土がこの爆撃機による空襲を受けました。暗闇に浮かぶ光線は下からサーチライトを照らしてこのB29を見つけようとしているのです』

 ここで手もちのタブレット端末を使って空襲について調べさせたい。このリサーチで、空襲の人的被害や都市破壊の具体的な姿がわかるだろう。そして、調べたことをクラス全体にシェアすることで理解が深まると思われる。子どもたちのリサーチ結果を聞きながら『皇土防衛の軍民防空陣』に加えて先に紹介した絵本『絵で見る日本の歴史』の画像で関連事項をチェックする。目と耳で確認することで理解はより深まるはずである。

 もし子どものリサーチから日本本土への空襲が焼夷弾による「無差別爆撃」だった、ということが出てくればベストの流れだが、そうでなくとも次の資料は提示したい。

 ひとつめは焼夷弾の仕組みである。なぜ空襲によって火事が起こっているか?がこれでわかる。同時に「鑑賞編」で紹介した早乙女勝元『東京大空襲』(岩波新書)にある当時の証言も読ませたい。

焼夷弾

 もう一つは、アメリカ軍の火災実験の連続写真である。これで焼夷弾を使った計画的な無差別爆撃であることが「実感的」に理解できる。実験までしていたのか?という驚きである。

③連続写真①0分

④連続写真②10分

⑤連続写真③15分

⑥連続写真④20分

 ここまで学習してきて、一般民間人をもねらうアメリカ軍の空襲に日本軍は何もできなかったの?と、子どもならこんな疑問を持つ子もいるだろう。そんなことはない。最後にこの絵を見せてほしい。中村研一『北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す』(1945年)である。

中村研一『北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機撃墜す』1945年

 大型のB29が2機とも空中分解している。そのB29のさらに下を見ると小型の戦闘機が墜落しているのがわかる。これが野辺軍曹機だ。自分の家族と友人、そして故郷と祖国を守るために命をかけてくれた兵隊さんがいたことをこの絵で教えたいものである。 

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