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涙と刺しコブは優しさの証
ここの血管はかてぇよ。オレ昔自分でしょっちゅう針刺してたからよぉ、わかんだよ。なんの注射かは言えねぇけど。へへ。こっちの方が刺しやすいかもな。ま、どこでもいいから何回でも刺せ刺せ、気にすんな。
看護師一ヶ月目の私に腕を差し出してくれた長袖長ズボン系総入墨のおじさん。
入院期間中そりゃもう何回も刺させてもらった。
何回も失敗したし、1回はおじさんに刺した後の針を片付ける前に自分に刺してしまい数カ月間追跡のための血液検査を余儀なくされおじさんに「俺のせいでゴメンな」なんて謝られたこともあった。(彼はC型肝炎持ちだった)
一人の看護師として患者さんの前に立つ事のプレッシャーで潰されそうだった21の頃、こういう優しさが何よりも嬉しかった。
今日はコイツが担当か、ハズレだな。
みんなからそう思われてる気がして、ナースステーションから病室への足取りはいつも重かった。
新人の頃、プリセプターに泣かされていた。
いや、おのれが泣いていただけだろうと言われたらその通りで、だけどその頃の先輩は本当に怖くて毎度臓物が縮み上がり口の中カラカラ状態で彼女の前に小さくなっていた記憶しかない。
プリセプターとは新人(プリセプティ)を一定期間教育指導する役割をもったその部署の数年先輩ナースのことで、場所にもよるが大抵3年目くらいが担うことが多い。
私のいた救急では、新卒3年目だけでなく部署配属後3年目でもプリセプターになることがあり、私のプリセプターは後者の方、救急配属3年目、看護師歴13年目で35歳のベテランナースだった。
やれと言われたことがわからない、前に教えてもらったこととちょっとシチュエーションが違うから一人で判断してやるには自信がない。
一人でやって万が一間違っていたら結局は怒られる、から聞く。
「え?それ前にさ、教えなかったっけ?」
「そぅなんですけど……」
必死になって前に取ったメモを探す、捲る。
と、メモを引ったくられ「どこに何てメモしたのか見せて。……ふーん。これ見てわかるの?」
自分のつま先をじっと見つめ、どうしようどうしようなんて言えばいいだろうと固まる。
沈黙が続く。
泣きたくないのに涙が出る。
グッとこらえる。
「あのさ、わからないこと聞いてくる度にそうやって泣くわけ?」
万事が万事こんな調子だった。
相当できなかったんだろうな、当時の私。
ただ、決して自分ができないことを棚に上げるわけじゃないけど、一人前のナースになったら絶対にこんな先輩にはならない、と誓った瞬間だった。
あれから20年近くが経ち、私もプリセプターを経て立場上新人教育を担う機会が何度も訪れた。
綺麗事かもしれないけど、人には優しくありたいと思っている。
相手に縮み上がる思いはさせたくないし、優しくして損することなんて一つもないと思っている。
優しさって何ぞやと聞かれたら答えられないし、普段から白衣の天使ぶった偽善的外面で生きているので、全てが全て「人に優しくしてあげるのが喜び」という博愛精神の塊という訳ではなく、まぁ結局は単に自分が気持ちよく健やかな時間を過ごしたいというだけなのだけど。
「刺していいよ」
と新人たちに差し出し続けた右手の血管には、刺しコブができている。
この刺しコブは私の優しさなのである。
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自由のきかなくなった手で転院前に
受け持ちの患者さんが書いてくれた手紙。
これは私にとって喜びでもあり
自分への戒めでもある。
ボロボロになっちゃったけど。