星野道夫とともに、太陽の描く弧を見つめる時間 【魔法のことば】
昨年十月に入った頃から読み始め、池澤夏樹の「ゆっくり読むこと。次に、一度にたくさん読んではいけない。」の言葉に従おうと思って従ったわけではないけど、結果的にゆっくりと約三ヶ月間かけ2022年最後の日に読み終わりました。
去年一月に約二年ぶりとなる仕事を再開したことで、ニートの頃とは違って心と時間のバランスを取るのが難しいことも増えました。
一昨年前まであれほど毎日のように通っていた緑あふれる自然の中に身を置くことが激減し、無機質な白い壁とパソコン、出力しては一日の終わりにシュレッダーで粉々にされていくコピー用紙の束を見つめながら、「今時分、あの森にはハンノアオカミキリがいる頃なのに。」などと、そこに居れないことを何度寂しく想ったか知れません。
そんなとき、講演の中で星野道夫が何度も何度も繰り返し語った「人間にとって大切な自然というのは必ず二つあって、一つは身近な自分たちの暮らしの中にある自然。もう一つは遠い自然というもので、日々の暮らしの中では関わらないけれども、どこかにそれがあるということでホッとする、そういう自然です。」ということばが、私の心を覆っていた寂しさや焦り、歯がゆさを一枚一枚静かに剥がしてゆき、いま目の前にある自然の姿を優しく照らしてくれました。
冬至を過ぎてもなお、十二月下旬の北海道は夕方三時半になると薄っすらと陽が陰り始め、四時が過ぎると夜のような闇が空の端から広がって、四時半にはすべてを飲み込んでしまいます。
ここよりももっともっと真っ暗で、極寒で、果てしない自然が続く冬のアラスカに住む人たちは、一日に太陽が描く弧の大きさを意識しながら暮らしているそう。
日に日に高く大きく弧を描く太陽の軌道を見つめ、春の訪れへの歓びを噛みしめるのでしょう。
なんとなく日の長さを体感していても、太陽の道筋を意識して暮らしたことはあっただろうか…。
自然を見つめる目にかかる曇りをゴシゴシと擦り落としてもらった気分で、「これからは少しずつ頭上高く昇る太陽の弧とその光を感じてみよう」と、この冬の日のささやかな楽しみを見つけることができました。
北国の冬空は、深淵のように真っ暗です。
でも、月がふっくらとし始める十三夜の夜、闇の中に月が顔をのぞかせると、雪面にその光が反射して時刻がわからなくなってしまうほどに仄明るく人々の顔や木々を照らし出します。
夜眠りにつく前のほんの少しの時間、カーテンの隙間から漏れ入るそのぼんやりとして優しい明るさを見ることが、私はとても好きなのです。
(別のところに投稿していたものを編集して再掲しました)