ムラケン
あいだ(間)はおもしろい
白いハコ駅前本棚のメンバーのnoteを公開中
クラウドファンディングの公式パートナーです。川崎市多摩区を中心にしつつ、全国を対象に活動しています。
選書など
100人カイギをモチーフにしてコミュニティ運営の解説をしています
私は川崎市多摩区の登戸・向ヶ丘遊園のエリアを中心に、哲学カフェ(哲学対話)の場を開いています。 哲学カフェに価値を感じているまちの仲間(友達)たちと一緒に、協力して開催しています。私はファシリテーターを務めることが多いです。 参加者はもちろん増えて欲しいですが、そのためにも開催する仲間も増えて、ファシリテーターができる人が街の中に増えていくことを、ゆるく目指しています。 この記事は、告知や活動実績などを更新していくページとして活用したいと思います。 開催告知・11/24
先日このように嘆いたことがあった。 この嘆きには、私が日常的に陥る思考のパターンが凝縮されている。それは価値判断の無限後退とでも呼ぶべきものだ。ある事象について考え、その考え方について考え、さらにその考え方について考える——この果てしない再帰的思考の連鎖は、時として私を疲弊させる。しかし同時に、この思考パターンこそが、物事の本質に迫るための不可欠な過程のようにも思える。 この問題意識を携えて、私はAIと対話を試みた。興味深いことに、AIは「メタ認知能力が高い方によく見られ
価値観の多様性とは何か。 「大切なものだから大切なんだ」というトートロジー的な価値観の継承が出来なくなってきている。 私たちは自分で、それぞれに大切なものを自由に決めることができる。 出来るというよりもむしろ、そうしなければならない。 でももしや、とも思う。 一見、私たちはそれぞれ異なるものを大切にしているように見える。 けれど実は、根底では同じものを大切にしているのかもしれない。 言葉は違っても意図は同じ、ということが案外多いのではないか。 それは、対話を通じて言葉を共
自然を問う。 自然とは何か。 自然は生物だけを指すのか、それとも無生物も含むのか。 人工物は自然の対極にあるのか。 それとも自然の一部なのか。 文化や宗教は自然観にどう影響しているのか。 人間は自然の中で特別な存在なのか。 それとも自然の一部なのか。 時間軸を広げると、自然の定義はどう変化するのか。 自然に戻るというとき、それは誰にとっての時間軸で考えれば良いのか。 そしてなぜ、私たちは自然を「良いもの」と捉えがちなのか。 その価値観はどこから来ているのか。 この問
こんにちは、CAMPFIRE公式パートナーのムラケンです。 サポート中のプロジェクトを紹介します! プロジェクト概要『登戸まちなか遊縁地を継続開催したい!』 ★2024年10月16日から公開予定です!★ https://camp-fire.jp/projects/797926/view 今回のプロジェクトオーナーは、「登戸まちなか遊縁地」実行委員の黒崎さん。 ここがポイント!今回のプロジェクトは、登戸・向ヶ丘遊園エリアで開催しているイベント「登戸まちなか遊縁地」を、一
恥ずかしがってる場合ではない!恥ずかしがらずに前へ出よう! というように、恥ずかしいという感情は乗り越えるべきものというイメージがある。自分が理想とするあるべき姿とのキャップを自認した時に生まれる負の感情。これは自分に向かう恥ずかしさだ。 一方で、他者に向かう恥ずかしさもある。恥を知れ!という言葉はこれにあたる。社会人としてのあるべき姿とのギャップを自認すべき、他者のために自分を律すべしということだろうか。恥ずかしさという言葉には、持つべきものであるというポジティブな意味も
子どもと大人の間には何があるのか。 子どもの頃は大人っぽい友達にどこか一目を置いていた所があると思う。 それとは逆に、大人になると子ども心をもつ大人に魅力を感じることがある。一方で、子どもっぽい大人というと良い響きは消える。 子ども心をもつ大人と、子どもっぽい大人。この違いは何なのだろうか。 子ども心という言葉を使う時、それは今この瞬間の生を生きている状態をイメージしているのかもしれない。過去にとらわれず、未来をおそれず、今この瞬間を目的として生きているような状態。 た
友達とは何か。 相手を友達だと感じる時、それは何がそうさせているのか。 友達という言葉は、いったい何を肯定し否定しているのか。 自分の感覚では、ふざけたことが言えるような無意味さを共有できる時に友達だという感覚を持つようになる気がする。無意味さが承認されているという安心感が、コミュニケーションを継続させているように思う。 そういう意味では妻や子どもたちは一番の友達だといえる。ただし、親密な関係が必要かと言われればそうとも限らない。浅い関係の間柄でもその感覚は生じる。例えば
バランスをとろうとすればするほどバランスは崩れる。 問題が起こるたびに「バランスをとろう」という掛け声で終ってしまう。 しかし、いつだってその掛け声は何も解決してくれない。 バランスと聞くと、一つに定まった静的なものを想像してしまう。 バランスがうまく取れている状態というのは、もっと動的なものなのだろう。 ひとはグラデーションのかかった幅を持つグレーゾン・間(あいだ)を揺蕩っているように思う。揺蕩う存在である人間に、静的であろうと動的であろうと、バランスをとろうとすること
物事が自分事になっていく時には、「好き」が先行して立ち上がっていくようだ。では「好き」はどのようにして生まれるのか。 経験上、時間を効率的に使おうというような余白のない日常に好きは生まれにくいように思う。暇の中での偶然との出会いが必要ではないか。つまりたまたま出会ってたまたま好きになるしかない。 突き詰めれば世の中にはたまたましか存在しない。努力の成果も強い意志なるものも全部たまたまである。これを認めない限り、せっかくの暇の余白を黒塗りしてしまう。因果関係をハッキリさせる
こんにちは。ムラケンです。 駅前本棚という空間の中のお店番企画として、クラウドファンディング(クラファン)の相談会をやりました!のレポートです。 駅前本棚は、向ヶ丘遊園駅前にある白いハコというコミュニティスペースにあるシェア本棚です。この空間を利用してクラファンの相談会をやっています。今回で4回目の開催になります。 今回コラボでお店番してくれたのはスミナツコ。それでは、お店番の一日をご紹介します。 佐藤プロジェクト専修大の佐藤プロジェクトから松田くんが相談に来てくれまし
2ヶ月毎につける読書記録。今回で2回目。 2024年 3~4月に読んだ本を、読んだ順に列挙してみた。全部で13冊。特におすすめの本には★をつけている。 本そのものの読書記録というよりも、本と本のあいだを思い返す日記に近い。 ■2024年3~4月読書リスト ・『普通という異常』兼本浩祐★good ・『菌の声を聴け』渡邉格・麻里子 ・『考えるとはどういうことか』梶谷真司★good ・『本屋、はじめました』辻山良雄 ・『必要な時に上手に助けを求める方法』ハイディ・グラント ・『
自分事の領域を広げると日常はどんどん豊かになる。 自分事を広げるためには既にある繋がりに気づくことが大事なんだろう。 新たな繋がりを作らずに、既にある繋がりに気づくことは意外と難しい。 目に見えるものを増やしながら目に見えないものに気づいていく。 経験が先立って知覚の可動範囲が広がる。 ちょっとした行動が、同じ出来事に違う意味を与える。 そうやって日常は豊かになっていく。 自分と世界中のあらゆるものは繋がっている。 無理に繋がりを増やそうとしなくても、すでに繋がっている。
こんにちは、CAMPFIRE公式パートナーのムラケンです。 サポート中のプロジェクトを紹介します! プロジェクト概要『秘密の花園「生田緑地ばら苑」を今こそ楽しもう!』 2024年5月3日から公開中です! プロジェクトオーナー今回のプロジェクトオーナーは、「生田緑地ばら苑 ボランティア会」会長の小松愛さん。 ばら苑をより良いものにしたいという気持ちがとても強い方です。私もお話を聞いて、すぐに応援したくなりました。 ボランティア会のインスタグラムもこれを機にスタートでしてい
こんにちは。ムラケンです。 駅前本棚という空間の中のお店番企画として、クラウドファンディング(クラファン)の相談会をやりました!のレポートです。 駅前本棚は、向ヶ丘遊園駅前にある白いハコというコミュニティスペースにあるシェア本棚です。この空間を利用してクラファンの相談会をやっています。今回で3回目の開催になります。 それでは、お店番の一日をご紹介します。 FxCONNECT朝10時に白いハコに行くと、バランスボールと戯れる2人の男がいた。彼らはFxCONNECTのオーナ
登戸駅の高架下で哲学対話(哲学カフェ)なる楽しいものをやってみたので、記録しておこう記事の第2弾。今回は「感想」編。前回「やり方」編を書きました。 今回、住民本屋という登戸のスペシャルなイベントの中の一つの企画として、哲学カフェを開催しました。開催日は2024年3月31日(日)。 住民本屋全体の様子は、こちらのレポートでお楽しみください。 今回の住民本屋の場所は、小田急線登戸駅の高架下。ガタンゴトンのノイズに包まれながらの哲学カフェ。哲学カフェ自体はドキドキの初開催。「