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むにみずべ 滋賀編02 近江八幡 八幡堀めぐり

遂に念願の近江八幡。
そこは戦国の世に生まれた水の都。
これ知っていますか?


織田が産み、豊臣が育てた、
戦国屈指の水の都

安土城天守、凄まじい豪華さ

近江八幡は、安土⚫︎ ⚫︎桃山時代、日本の中心にありました。その始まりが、織田信長が全力をかけて作り上げた安土城、その城下町だからです。

しかし琵琶湖のほとりで、強烈な輝きを放っていた安土城は、本能寺の変が起きると焼失
残された民衆が右往左往するなか、その城下町を取り込むかのように、安土城の目と鼻の先に八幡城を築いた男、それが豊臣秀次でした。

なぜこの辺りに天下人が群がってくるかといえば、琵琶湖が一大交易路だったからです。

山の上の八幡城跡と八幡堀

つまり今で言うなら、近江八幡は新幹線やリニア中央新幹線の沿線にあるようなものでした。しかも統治するのは時の天下人。間違っても、新幹線駅が作られず素通りされる、なんてことはありません。
Hei you!!ここに停りなさい!これでOKです。

かくして八幡堀を通って城下に水運を引き入れた近江八幡は、急速に発展します。


日本経済を牛耳る近江商人、江商

布団の西川はまさにここから出た近江商人

さてそんな琵琶湖の舟運を基盤に、近江商人、通称江商ごうしょうはメキメキと力をつけ、今でも日本経済を牽引しています。ちょっとご紹介すると、、

トヨタ自動車、三井物産、伊藤忠商事、武田薬品工業、日本生命保険、東レ、高島屋、布団の西川…

おお、名だたる名だたる。
時価総額を合わせればおよそ日本経済の2割、つまり世界経済の約1%を、近江商人が生み出している訳です。GDPで言えばポーランドや台湾に匹敵するレベル。恐るべし江商。


堀を守る、気の利いたスローガン

例によって戦後、この堀も非常に汚く荒れ果て、なんと国から埋め立てる費用まで下りてしまいました。
ところがここからが近江八幡の本気

全国各地で、取り壊される寸前に住民が立ち上がり守り抜いた例はあるものの、ここ近江八幡はとにかくスローガンが秀逸。
きっと人を動かす言葉遊びの達人が居たのでしょう。それもまた近江商人に伝わる秘伝なのかもしれません。

「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」

何やら一度埋めたことがありそうな一言。ふと埋める手を止めたくなります。流石です。

「死に甲斐のあるまちづくり」

まちづくりのスローガンに絶対に入らない漢字No. 1をあえて使うこの実力。少子高齢化が進む今だと物議を醸しそうですが、若さが溢れかえっていた昭和50年代には、パンチの効いた良いスローガンです。

ともあれ、匠なスローガンで目を覚ました近江八幡の皆さんは、保存運動を展開。今では周囲の蔵と共に往時の風景を楽しむことができます。


八幡堀めぐり

では乗って行きましょう。
本当ならば琵琶湖舟運を街に引き入れるための堀なので、別の街から船で来たいところですが、今は我慢。それでも町の中に忽然と現れる、八幡堀は絵になる風景です。

近江八幡の由来になった
日牟禮八幡宮の鳥居を抜けた先の橋の下
忽然と現れる八幡堀
八幡堀めぐりはこちらのカフェの奥から
乗り込みます
途中手漕ぎ舟とすれ違ったので
わたくしも船頭ですとテレパシーを送る
八幡城を臨むカーブに到達
九十九折りの運河
土地の制約なのか、防衛のための枡形なのか
見えてきたレンガ工場跡の煙突
このあたりで折り返し
運河沿いには民家も
こんな水辺に住んでみたい…!
その昔、はるばる琵琶湖を通って
近江八幡に到達した商人も見たであろう風景
そしていよいよ
到着

ぜひ琵琶湖をまたにかける近江商人の気持ちになって、城下に入る心持ちで乗ってみてください。


これからの八幡堀めぐり

さて今でも大人気のこの八幡堀めぐり。さらに面白くする方法はないでしょうか。

やはり、むにみずべをご紹介するムニの個人的な好みとしては、交通手段としての船になること。遊覧ではなく、どこかに行くための船です。

近江八幡で、市内から行きやすい距離にあると言えば、たねやのラコリーナ。一面の芝生がそのまま建物になったような可愛らしい建築です。

大きな駐車場もあるので、近江八幡に来た観光客が船で市内に入る拠点になると素敵です。

ちなみにたねや、こちらも地元出身の近江商人で、今や滋賀県を代表するお菓子メーカーです。

また、歴史好きにしか刺さりませんが、安土へ行くツアーも良いと思います。八幡堀発、ラコリーナ経由、安土行きです。

天守閣は安土山にはないものの、
縄張りは感じられる石垣が残っています
天守跡からの琵琶湖(西の湖)
安土城近くには船をつけられます

豊臣発織田行きの戦国クルーズです。豊臣秀次の八幡城下を出発した船が、織田信長の安土城下まで行く船便。
安土城は駅からも遠いので、ぜひやってもらいたいです。そして安土に行く人が増えて、いつか安土城の天守が山の上に復元されることを祈っています。

ともかく。八幡堀から出る船が、近江八幡の様々な観光地に行けるようになるといいなと思います。

(ちなみに現在、八幡堀から安土のある東側にいくのは水郷めぐりと呼ばれる別の船。こちらはまた別の機会に書きたいと思います)

以上、近江八幡の八幡堀めぐりでした。
前日の郡上八幡と合わせ、八幡を追いかけた夏が終わり、これからは秋の水辺に漕ぎ出して行きます。

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