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数学は人間と実世界をつなぐインターフェース

数学を学ぶ意義として、「論理的思考力の養成」や「〇〇に役立つ」といった説明をよく見かけるが、それは数学の本質を捉えているのだろうか?という疑問が浮かんだ。

この説明には、自転車を移動手段ではなく、足腰を鍛えるための道具だと説明されているような違和感がある。

数学が何千年も使われ続け、発展してきた背景には、もっと深い意味がある。それが何なのか、若干語り尽くされた感があるトピックではあるが、改めて数学の本質について考えてみようと思う。

なお、ここでは数学という概念を極めることを目的とした、つまりオートテリック活動であるところの学問としての数学の話を持ち出すと議論の焦点が定まらないので、あくまでもツールとしての数学に焦点をあてる。

数学の本質、それは実世界の現象を記述し、実世界を制御するためのツールであるということだ。


1. 実世界を記述するツール

ガリレオは「自然は数学の言葉を使って書かれている」と言った。数学は、自然現象から社会の出来事まで、あらゆる現象を記述できる「言語」だ。私たちの思考や意思を表すのには自然言語が適していて、音楽で音の高さや長さを表現するのには音符という概念が便利なことと同じだ。

心臓の鼓動から惑星の軌道まで、この世界で起こるさまざまな事象を数学で記述できるというのは驚くべきことだ。なにか不思議な現象が起きても、「あ、これ数式で説明できそう」と言えるのが、数学の持つ普遍的な力だ。

世の中のあらゆる事象の特徴を数学で記述しようとする学問が、数理モデルを用いた計算科学(Computational science)、あるいは理論科学(Theoretical science)だ。数理モデルそのものは、必ずしも現象の仕組みを正確に説明できるという保証はなく、あくまでも「こう当てはめたら辻褄が合うから、まあこれでいけるだろう」ぐらいの姿勢だ。実際の現象の仕組みの解明は、理論科学とは相補的な関係にある、実験科学によって行われることが多い。

アインシュタインによる重力波の予測

理論物理学者アインシュタインは、1915年に一般相対性理論を発表し、宇宙の中で非常に大きな質量を持つ天体が動くと、時空に「波」が生じる、つまり重力波が発生するはずだと予測した。これは純粋に数理モデルに基づく理論的な予測であり、当時は実際に重力波を観測できる技術がなかったため、重力波はずっと仮説のままだった。

ところが100年後の2016年、観測技術の進歩によって初めて重力波が観測され、アインシュタインの予測が実証された。重要なのは、観測技術が追いつく前から、数理モデルが現実を正確に予測していたという点だ。

この理論科学の興味深い性質については、次回の記事で深く考えてみようと思う。

2. 実世界を制御するためのツール

数学は実世界を記述して理解するためのツールであると同時に、その理解をもとに、実世界を制御するための道具でもある。

機械やソフトウェア、デザイン、流通などは、数学によって設計され、正確に動作を制御している。有名企業のロゴが、数学的にデザインされていることを知って驚いた経験がある人もいるだろう。

Appleのロゴデザイン

人間が実世界に何かを実装しようとするとき、数学は欠かせないのだ。

3. 数学を学ぶ意義

数学は人間と実世界をつなぐためのインターフェースであることを考えてきた。宇宙の法則の解明や、ロゴデザインの事例は、数学の普遍的な力を示す一端にすぎない。数学が実際に役に立つ場面は無数にあるが、数学の本質はそれにとどまらず、世界そのものを理解し制御するための基盤を提供している。

ここまで考えれば、これから何十年もこの世界で生きていく子どもたちに、数学という実世界を理解し、制御するための手段を授けるのは、もはや当たり前のことに思える。

数学を教えずに子どもたちを社会に放つことは、地図を持たずに目的地まで旅をさせるようなものだ。

2003年に文科省のウェブサイトに掲載された「『算数』・『数学』はなぜ学校教育に必要なのか」と題する文書でも、教育学的な観点とともに、上で述べたような数学の本質についても触れられている。

4. 三角関数は要らない?

定期的に話題にあがり、国会議員までもが提案してしまう、数学教育における「三角関数不要論」。微積分や因数分解とともに、しょっちゅうやり玉にあげられる三角関数だが、「こんな仕事に就くと三角関数を使うから」といったよくある正当化では、たしかにちょっと苦しい。

三角関数を学ぶのは、世の中には光や音、電波など、周期現象が日常のあらゆるところに存在しているからだ。それを記述し制御できる概念を私たちはすでに持っているのだという事を学ぶために、三角関数が紹介されている。

ほかにも、日本に住んでいると避けて通れない地震。地震のマグニチュードは、地震のエネルギーの対数で表されている。マグニチュードが1増えると、地震のエネルギーはおよそ32倍になる。対数という概念を知らないと、この数量感覚を理解することすらできない。

三角関数や対数関数を学ぶのは、それで説明できる現象を扱うために確率された概念を紹介するためだ。数学に限らず教育の目的の一つは、車輪の再発明を防ぐことにある。すでに蓄積された知識を活用し、新しい課題に効率的に取り組むためのツールとして、これらの概念を学ぶことで、わざわざゼロから概念を生み出す必要がなくなり、次のステップに進むことができる。

これらは単に「使う・使わない」というレベルの話ではなく、私たちがこうした現象を理解し、正しく認識するための基本的な枠組みだ。

5. 数学教育の現状と課題

小学校の算数で、移動したり果物を買うことで身を持って具体例を示していた、たかしくん。中学に入るころには彼は退場し、数学の授業は抽象化されたツールの使い方に終始するようになる。数学の実用例は科学の授業に任せるということなのだろう。

勘のよい生徒ならそこで数学の本質に気づくかもしれないが、問題を解く楽しさといったオートテリックな動機にはまらなかった生徒は、抽象的な授業のなかで数学の学習意義を見失ったとしても無理はないだろう。

6. まとめ

結局、数学を学ぶことは、世界の仕組みを知るための最強ツールを手に入れることだ。

だからこそ、計算機に頼る時代になっても、数学の概念そのものを学ぶ意義は消えない。むしろ、計算という作業は機械に任せられる今だからこそ、わたしたちは数学の本質的な概念を理解することに集中すべきだろう。人生の中で、試験のときだけ計算機の使用が禁止されるという皮肉な状況が、それを物語っている気がする。



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