陰謀論は本来エンタメだったはず
昔は陰謀論といえば、UFOやネッシー、ツチノコのような存在だった。笑って冗談にしながらも、もしかして本当だったら面白いかも、という程度のエンタメだった。しかし、最近では陰謀論の「冗談」と「本気」の境界が曖昧になり、社会的な影響を与える陰謀論も増えてきた。
この記事では、かつて陰謀論が持っていたエンタメ性と、近年の変化について考えてみる。
かつての陰謀論: エンタメと知的遊び
かつての陰謀論は、都市伝説や未確認生物と同じレベルだった。UFOやエリア51のように、真偽がわからなくても楽しめるストーリーであり、仲間と「もし本当だったら面白いよね」と笑いながら語り合うものだった。
「黒柳徹子ロボット説」のような明らかに冗談とわかるものから、哲学的な思考実験であるシミュレーション仮説まで、陰謀論にはさまざまなジャンルがあった。ほとんどがエンタメとして消化しやすく、社会を揺るがすものではなかった
変わりつつある陰謀論
ところが、近年は陰謀論が変質している。「地球平面論」や「アポロは月に行っていない論」といった突飛な陰謀を真剣に信じる人々が増えてきた。かつては笑い飛ばされていたような説が、今では過激な信奉者たちによって広まり、時には社会的な影響すら与えている。
まさか21世紀に「地球平面論」を真剣に信じている人々が世界各地で活動しているとは、にわかには信じがたいが、フィルターバブルの中でこのような陰謀論が広まる余地が生まれている。
このような陰謀論がもたらすリスクは、単に一部の過激な信者にとどまらない。これまで人類が長い時間をかけて積み上げてきた科学や医療の知識そのものが、妄信的な陰謀論によって崩される危険があるのだ。科学的知識や医学的成果に対する信頼が失われれば、社会全体がせっかくこれまで築いてきた知識基盤を、人類自ら危険にさらすという残念な自体になりかねない。
なぜ陰謀論が本気で信じられるのか
近年、陰謀論が本気で信じられる理由として、ソーシャルメディアによるフィルターバブルが大きな影響を与えている。SNSによって、同じ信念を持つ人々が集まり、情報がエコーチャンバーのように強化されることで、陰謀論が確信へと変わってしまう。
ほんの一部の人たちが声高に主張しているトンデモ陰謀論であっても、そればかり見ていると「なぜメディアは報道しないのだ、権力によって隠蔽されているに違いない」と思い込んでしまう。そうなってしまうと、いくら客観的な反証を提示されても「それは知られたくない事実を隠蔽するための巧妙な捏造だ」と、はなから反論を受け入れないスタンスに陥ってしまう。自分が信じている情報が、全体でどのような位置づけであるのか、俯瞰して見ることができなくなってしまう。
もう一つの要因として、実際にいくつかの陰謀が明るみに出た事例も陰謀論信仰を助長している。スノーデン事件やエプスタイン事件のような事例が明らかになると、「ほらやっぱり陰謀論は正しかったじゃないか」「他の陰謀論も本当かもしれない」という不安が増幅し、陰謀論の拡散を加速させる要因となっている。
陰謀論はどこまでエンタメでいられるのか
もともと、陰謀論は知的遊びであり、社会を楽しむためのエンタメだった。酒の席で語り合う程度でちょうどいいネタだった。しかし、現代ではソーシャルメディアの影響や実際の陰謀が暴かれることで、陰謀論が社会を混乱させる要因となっている。
エンタメとわかった上で陰謀論を楽しむことにも抵抗感を持たざるを得なくなってきてしまったのは残念なことだ。「あいつは陰謀論者だ」というレッテルを貼られるリスクがあるため、気軽に冗談半分に楽しむことが難しくなっている。その結果、かつては知的遊びや娯楽として消化されていた陰謀論が、いまでは閉塞感を伴い、無邪気に笑い飛ばす余裕さえも失われつつある。
陰謀論を純粋なエンタメとして楽しむことができる時代は、すでに過ぎ去ってしまったのだろうか。それとも、エンタメとしての陰謀論はまだ再び取り戻せるのだろうか。今、私たちはその分岐点に立っているのかもしれない。