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昔の恋は、忘れたふりをしてるだけ
過去の恋が、日曜の朝のまどろみを切り裂いてきました。
数年前、私にいろんな初めてをくれた男の人の笑顔を、久しぶりに見てしまったからでした。
心が、揺れる。
私がこんなふうに人を好きになることはもうないだろうと思う恋をした相手。そんなのは初めてで、辿るものもなく足元が崩れ落ちたような、ずっと水中を沈んでいくような、苦しさ、愛おしさ。
そしてとてもとても大切で大好きな人に出会った今でも、同じ気持ちはもう湧いてきません。もうそのタイプの恋の泉は枯れてしまったか?と思うほどに。
彼のFacebookは、もう消してしまった方がいいのかもしれません。けれども、消せない。それはまだ好きだからではないと思います。
好きって、相手の目に自分を映したいし、相手の特別になりたいと思うし、自分も相手の幸福に寄与したいし、そういう風に渇望する関係性のことだと思っています。でも私が消せない理由はそれとは違うのです。
きっとあの時間という青春を、懐かしんでしまうのだと思います。若かった愛おしい自分たち、友人たち、その街の姿を、私は忘れることができないでいます。
昔好きだった俳優のことだって、久しぶりに見たらこの人のこの役好きだったなあとなんだか感傷的になる夜があります。それなのに、触れ合っていたときの温度や私の名前を呼ぶときの瞳の色を知っている相手に対して、何も感じないはずがありません。
彼のアカウントが久々に更新された時、私は静止したまま動けなくなりました。
ただ彼が微笑んでいる1人のカバー写真。結婚の報告でも、パートナーが写っているわけでない1枚。それなのに彼の笑顔が、こころのいちばん深い部分に触れたような、ワンスクロールで3年前に引き戻されるような、淡く強い引力を持つのです。
この人には死ぬまでに会うことがあるのかすらわかりません。きっと共通の友達も多いから、その街を訪れたら会うのかもしれないけれど、当分予定はありません。なにせ遠い国に住んでいるから。
時折、針を刺した水風船のように、記憶が一気に裂けて溢れ出すのを止めることができないだけです。そして思い出は、時間が経てばきれいに修正されていく。
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彼といたときの私より、私は今の自分の方が好きです。
これは強がりではなく、本当に。
手探りで、嫌われたくなくて、いつもグラグラ揺れる氷の上で落ちないように必死だった私。すっぴんだと顔を隠したくて、始めは彼の前でうまく笑えなかった私。
彼のことを大好きだったし、彼のおかげで自分を認めてあげられるようになったことも事実です。
でも、過去の私はあまりに懸命すぎて、息が詰まっていました。
今の私は、自分を好きじゃない人のことは興味がないとはっきり言えるほどに自由です。思ったことをちゃんと話せて、感情の出し方に躊躇いがないし、何しろ、すぐ先の別れに怯えていません。
そして、そんな私を見守ってくれる人と一緒にいられるんです。なんて、ありがたいし心地が良いんだろう。きっと恋人は、私がずっとこんな風に奔放な女の子だったのだと思うでしょう。でもそれは違う、あなたといるからなのです。
でも、時折、過去は押し寄せてきます。
天日干ししたタオルケットのような今の愛情にくるまりながら、初めて飲んだカクテルのあの甘さは忘れられない私。
逆に言えば、今の愛情の中では激情とも呼べるような、自分の何もかもを奪い去っていく「相手がほしい」という恋心を感じたことがありません。
それは、もしかしたら好きの定型ではないんだな。そんな事に気づいたのも、いろんな恋をしたからでした。危ういほどに気持ちが揺らされる恋だけが大好きの指標ではありませんでした。昔はその苦しさを、恋愛の正しさに置き換えて納得していたのだと気づきました。
すっぴんで口を開けてぐーぐー眠る、掃除をサボってしまいがちな私のことを「どんどんきれいになるね」と褒めてくれる人にただただ愛されて今があります。
苦しくはないし、揺れもしないけれど、とても幸せだと思えること。前の恋に感謝しながら、ぐんと進めた気がします。
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あの頃の私には、本当に好きだけれど、理屈なんて超えたいほどにそれは激しかったけれど、決定的に喪失が見えていました。
未来の約束も、今の約束も、できなかった。言葉をうまく使えない土地で、もどかしさを体を重ねて塗り潰そうとしたけれど、できなかった。彼との別れは、1番好きだったときに訪れました。
時間は待ってくれません。ただ、私たちは、最後に涙の味のキスをしました。空港で今さっき別れてきた人のぬくもりや匂いが消えていくことに泣くのも、きっとあれが最後でしょう。
思い出は美しすぎて、初めては愛おしすぎる。
だから私に忘れさせてくれないのかもしれません。それは、仕方のないことだよ。嫌いではない人を嫌いになることも、私を構成している大切な思い出を消し去ることも、できません。
無理をしたらガタが来る。昔があるから、私は今の尊さを抱きしめていられるんです。
君が元気そうでよかった。本当に、よかった。今でも、その人だけは特別で、やっぱり私が人生で出会いに恵まれていることも思い出させてくれます。
もう交わることはない2本の線は、それぞれ別の愛しい人と、これからの未来へと続いていきます。
普段は忘れたふりをしている恋。でも過去は過去に変わりはありません。
今の愛情に、ありがとうと。目の前の大切な人を抱きしめていたいと、祈ります。
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