有給休暇をとるのに、申し訳なさそうにしないといけないのかな
会社の後輩が愚痴っていた。なんで半年前から知らせていた有給休暇を取るのに、「もうちょっと申し訳なさそうにした方がいいなんて言われなきゃいけないんだ」と。なるほど、後輩の言っていることはめちゃくちゃ正論だった。
だって有給休暇は個人の権利だし、よっぽどの理由じゃなきゃ取得日をずらしたりさせることはできない。しかも数日前とかじゃなく、半年前からお知らせしていたと。当然の権利なので、本来は申し訳なさそうにする必要だってないはずだ。みんな、補い合いながら休めばいい。
私も休日のために働いているところがあるので、有給ダメですなんて言われたらカチンと来ると思う。そもそも、私は有給休暇を取ると決めたら早々に会社のカレンダーをブロックして飛行機を取るので、予定を変えることはない頑固者なんだけど。
さて、後輩が休みを取ろうとしたのは、担当するプロジェクトの導入の週だったという。システムやプロジェクトの導入日前後は往々にして忙しく、問い合わせがごまんと届き、勘弁してくれよというくらいには忙しい。そこで休もうとしたことで軋轢が生まれてしまったそうだ。でも同時に、その導入日は延期に延期を重ねたもので予測もできなかったらしい。それで責められるのはかわいそうな気がする。
そうして先輩社員とも上司とも揉めたらしく、そのスタンスは「自分が絶対に正しいから納得いかない」だった。「権利だし当たり前にしていかないと、環境は変わらないんだから、申し訳なさそうにする意味もない」。彼女の言っていることは、言葉は強いが正しいと思う。だけれど、生きづらそうにも感じてしまった。
私は人に媚びたりお世辞を言ったりするのは苦手で、それは自分で思ってもいないことは言葉にできないからだというポリシー?というより特性がある。ただ、私でもクッションとなる言葉を入れたり、適度に相手を立てたりした方が物事がスムーズだということはわかる。
うまく立ち回った方がいいよ、みたいな汚れたサラリーマン発言はしたくないが、これはある程度は真理だと思う。そっちの方が自分にとってもメリットが大きいなら、やって損はないんじゃないか。そもそもあんまり自分にストレスが溜まりすぎても、いいことって全然ない。
だから正直言えば「形だけでもいいから申し訳なさそうにしとけば?」というのが本音だったけれど、彼女は全然折れなかった。結果的には休みも取れているし、よかったねと思うのだが、そこまでしなくても波風を立てずに休めたような気がして、何とも言えない気持ちになるのだった。
社会や組織を変えるためには、正論で喧嘩しないといけないんだろうか。正論では人の共感は得られないよなあと、久しぶりに強く感じてしまった。それと同時に、自分にもこだわったことにムキになって執着することもあって、どうやったら生きやすくなるのだろうかと思う。みんなとうまくやるのは不可能だから、自分のスタイルでやりたいように闘えばいいってことなんだと思うけれど。
これからなにか理不尽なことがあったときに、自分なりの強さ(しなやかさでも人との関係性でもロジックでもいいけれど)を身につけておきたいものだ。みなさんの自分の意見の守り方も、よかったら教えてください。
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