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あなたが開いた世界地図と、あなたがくれた魔法のじゅうたんと。
あの人の部屋には、大きな世界地図が貼ってありました。
そして隣に、それも大きなヨーロッパの地図も。
朝目覚めると、私はイタリアやフランスやイギリスに穏やかに見つめられている気がして、行ったことのない土地に想いを巡らせるのでした。
彼から聞く、見たこともない景色の話、知らない場所での彼の話。
私が出会った彼は、その場所で作られてきたのだと、どこかの誰かに感謝します。そして、出会うのが今で良かったと心の中だけで思いました。
若い彼の写真。その膝の上には、美しいブロンドと透き通るような肌の華奢な女の子が笑顔で乗っています。
イタリアにいた頃なのかな。アジア人に見えるのは彼だけで、今よりも幼いその顔も、いま横で眠るあなたの顔も、結局は私には届かない存在なのかもしれないと思う瞬間は多かったのです。
彼は、いつも多くの人を理解しようとしていました。違う文化、国籍、言葉。興味のある場所に行って、その場所を大切な場所にして帰ってくるのがとても上手な人でした。
何ヶ国語が話せるの。4ヶ国語と、少し。
でも、何カ国の女の子と付き合ってきたの、とは聞きません。
言葉が必要になるのは、きっとそういうことだから。
まゆ、ってどんな漢字を書くの。
彼のスマホのメモに、手書きでゆっくりと書いていきます。
この字は、どういう意味なの。
小学校の頃にもお母さんに宿題で聞いたような、名前の由来。それを日曜日の朝に、好きな人に説明するこんな時間が来るなんて。
彼の腕の温もりを感じながら、彼のスマホに並んだ自分の名前を眺めます。
彼は私のiPhoneを開かせ、今度は自分が何かを書き始めました。
これはなあに。
僕の、もう一つの名前。彼の上手くないカタカナが並んだメモ。
彼は、中華系の人でした。
もともと持っていた名前と英語の名前の2つを持っていたことを、私はその朝初めて知りました。
声に出して、つぶやいてみます。
彼は照れたように笑って、その後、少し寂しそうな顔をしました。
もう、その名前を読んでくれる人はいないと。彼をその名前で呼ぶのは、可愛がってくれていたおばあちゃんだけだったそうです。
彼から聞く、家族の話。生まれた国に住まず、文化も異なるその話は、私にまた地図を広げさせます。
これからは、私が呼ぼうと決めたのに。その名前は、もう誰かにその席を譲ってしまったでしょうか。
忘れはしないと、思います。
私はこれから、あんなふうに世界を直接広げる恋をすることがあるんでしょうか。あなたは本当に、私に広い世界を見せてくれました。
自分の世界で足踏みしていた私を、5歳からの憧れのプリンセスにしてくれました。
何度も何度も、繰り返し見た映画。
トラとあんなふうにハグしたいと羨ましいのは、正直今もです。
あの夜の私のスマホの待ち受けも、彼らがバルコニー越しに見つめ合うワンシーンでした。
彼が私を見つめている温度を、触れてもいないのに左頬に感じます。
「まゆのアラジンは誰かな」
その一言から、見つめ合った私達でした。
魔法のじゅうたんに後押しされるように、吸い込まれてキスをしたあの瞬間。
彼に手を引かれて、私は私の意志で選ぶことを覚えました。
「Your Choice」
そう、何度言われたことでしょう。みんなはどうしたいのかなと、空気を読むのが上手な私でした。そんな私の選択を、意思を待ちながら、愛情を教えてくれた人。
初めての恋が忘れられないのは、知らない扉が開かれるからだと思うんです。私はあれからヨーロッパもアジアもオセアニアもアメリカも、色んな場所を見てきたよ。旅が好きになったよ。観光地だけじゃなくて、その土地の人の暮らしを見ることが好きだよ。
A Whole New World.
きっと私は2人目のアラジンは探しません。自分が選んで、自分の足で世界を広げることを覚えたから。
あなたの広げた地図とはもう違う地図を開けるようになりました。
あの朝日に照らされたあなたの世界地図のように、わたしも自分の世界を輝かせてみたい。
ランプの魔神ではなく、未来の自分と約束します。
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