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『見守る』と書いて『忍耐』と読む

女の子。
このカテゴリーで収めてしまっていいものか。
そうは思うものの、やはりなんだろう?
女はめんどくささを感じてしまう。
これを書いている私自身も、その『女』なのだけれど。

娘の人間関係。
この話を聞いてると、娘の細やかな性質が仇となっているように感じてしまう。
そして、ついつい『面倒臭いなぁ。』
なんて思ってしまうのだけれど、娘本人としてはめちゃくちゃ深刻なのだ。

そして、どうも歪んだ認知。
これによって、かけているサングラスのようなものが娘にはあるらしい。
娘の歪んだ認知のレンズを通して、起こった事実を見るので、どうしても傷つきすぎたり、苦しくなりすぎたりするようだった。
そのレンズをとって、起こった事実を見れたなら、少しは違った見え方になるのかもしれないが、
傷ついた娘の心に、塩を塗りつけるような言葉は言えないし、きっと傷心中の娘には、私が何を言おうが塩を塗りつけるような言動に感じられてしまうだろう。

そう思い、この状態の娘に何をどうしたらいいだろう?
と、考えた。

答えは、一つ。
何もしてあげられることはない。

冷たく映るかもしれない。
それでも、聴くこと、私の経験からくる考え方を伝えることはできる。
しかし、苦しさを取り除いたり、人間関係を良くする。
これは私にはできない。
これをやるのは、娘自身だからだ。

見ていると歯がゆいし、やはり傷つき涙する姿は親であるこちらが苦しくなってしまうときもある。
それでも、問いかけと、受け止めること。
この2つに徹して、あとは娘の選択に託す。
こう私は決めている。

『見守る』と書いて、『忍耐』と読むのでは?と思う日も多いが、このスタイルをもう少し貫いていきたい。
親心子知らず。
この言葉、ふっと脳裏に浮かんでは消えたのだった。

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