初めてお疲れさまと言った日のこと
この記事は「お疲れさま」について掘り下げる全5部構成のエッセイシリーズの第2部です。
第1部はこちらから読めます🔗
今回は「わたしのお疲れさま史」というテーマで書いていきたいと思います。
「お疲れさま」との出会い
初めて「お疲れさまです」と声に出した日のことを、わたしははっきりと覚えています。
あれは中1の春のことでした。部活の体験で、人生初の先輩に対して発したのです。小学生時代には、年上の友達と遊ぶことはあっても、敬語を使う場面はほとんどありませんでした。でも、中学に入ると急に上下関係が明確になり、挨拶の言葉として「お疲れさまです」がインプットされた瞬間でした。
中2の先輩が中3の先輩に向かって「お疲れさまです」と言う姿を見て「あ、わたしもこれを言わなきゃいけないんだ」と理解しました。自発的というよりも、同調圧のような空気を感じたからです。こうしてわたしの「お疲れさま人生」が幕を開けました。
受け継がれていく伝統
一度「お疲れさま」のルールを身につけると、それはすぐに日常となりました。先輩に会えば必ず「お疲れさまです」と声をかけ、先輩は「お疲れ〜」と返してくれる。その繰り返し。
廊下ですれ違った時、部活のランニングから帰ってきた先輩に向けて、さらには休みの日にショッピングモールで先輩を見かけた時にも、挨拶を忘れることはありませんでした。それがルールであり、先輩・後輩という関係を守るための約束だったのです。
自分が中2になり後輩ができると、今度は逆に「お疲れさまです!」と初々しい表情をした新入生に言われる立場になりました。その時「お疲れさまー!」と返した自分は少し得意げでした。こうして「お疲れさま」の輪は、次の世代へと受け継がれていくのでしょう。
言葉が心に響かせるもの
初めて「お疲れさまです」と声に出してみた時の、口の違和感と心の緊張感。大人びた言葉を使った自分に対する少しの誇らしさと照れくささ。今思い返しても甘酸っぱい記憶です。
あの日から、わたしは数えきれないほどの「お疲れさま」を言ってきました。その中には心からの労りや感謝を込めた「お疲れさまぁ!🥺」もあれば、ただの形式的な挨拶として発した「オツカレース」もあります。でもどれも「人と人を繋ぐ言葉」であることに変わりはありません。
皆さんは初めて「お疲れさまです」と言った日のことを覚えていますか?
その時感じたのはときめきでしょうか。ざわめきでしょうか。言葉が生まれる瞬間には、必ず何かが心に響くものです。皆さんの「ファーストお疲れさま」エピソードがあれば、ぜひコメントで聞かせていただきたいです。
次回もお楽しみに。
ここまで読んでいただき、大変お疲れさまでございました😌🥲😵💫🤪
(いつもお世話になっております、初めましての方は初めまして、いかがお過ごしでしょうか、お時間をいただきありがとうございました、書面にて失礼いたしました、ご多幸をお祈りしております、今後ともどうぞご贔屓に、それではお暇いたします)