お疲れさまという言葉の毒
この記事は、「お疲れさま」について掘り下げる全5部構成のエッセイシリーズの第3部です。
第1部、第2部はこちらから読めます🔗
今回は「お疲れさまという言葉の毒」というテーマで書いていきたいと思います。
字面が語る「疲れ」の圧
「疲」という字を見つめると、じわりと体力が削られるような感覚になるのはわたしだけでしょうか。この字を幹に持つ「お疲れさま」という言葉が、日常の中で無意識に受け入れられている現代社会に、わたしは警鐘を鳴らしたいのです。
もちろん、労いの言葉自体が悪いわけではありません。その根底に「疲」が据えられていることに、わたしはまだ納得がいかないという話です。
「疲」を前提にする限り、わたしたちは疲労を当たり前のものとして受け入れ続け、無自覚のうちに心や身体に蓄積していく。それは、際限なく増え続けるごみの埋立地のような危うさを孕んでいるのではないでしょうか。
そう考えると、これってかなり怖いことだと思いませんか?
万能すぎる言葉の毒
「お疲れさま」は誰と組んでも輝ける、意思疎通界の万能選手です。
例えばこんなやり取り、日常に溢れていますよね。
お世話になっております、お疲れさまです。
すみません!お疲れさまでした〜!
お疲れさま、ありがとう!
挨拶に、謝罪に、感謝に。
「お疲れさま」は添えるだけで会話が潤う魔法の言葉です。
しかし、この言葉に頼ることで、本来伝えたい気持ちがぼんやりと曖昧になり、語彙の豊かさや思いやりが少しずつ失われていくように感じます。
省略された深い対話や心の通ったやり取りは、一体どこに置き去りにされてしまうのでしょうか。
この便利さに隠れた浅さこそ、わたしが「お疲れさま」に抱く最大の違和感です。
「疲れ」を越える新しい言葉へ
「お疲れさま」に代わる言葉を見つけるのは簡単ではありません。
これほど多用途で日常に深く根付いた表現を置き換えるのは難しい挑戦です。
それでも今、新しい言葉を探してみる価値はあるのではないでしょうか。
疲労を前提とせずに、相手の努力や存在そのものを肯定し、感謝や繋がりを豊かに伝える言葉。あるいは、もっと軽やかで明るく、力を引き出すような瑞々しい表現があれば、わたしたちの日常も変わるかもしれません。
言葉が変われば世界も変わる。
わたしはそう信じています。
次回もお楽しみに。
ここまで読んでいただき、大変お疲れさまでございました😌🥲😵💫🤪
(いつもお世話になっております、初めましての方は初めまして、いかがお過ごしでしょうか、お時間をいただきありがとうございました、書面にて失礼いたしました、ご多幸をお祈りしております、今後ともどうぞご贔屓に、それではお暇いたします)