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引きこもりに決してやってはいけない3つの罠

1.勝手に部屋に入る
2.コミュニケーションを取ろうとする
3.悲観する


多くの引きこもりは好きで相手を拒んでいる訳ではないが、拒まなければ精神を保てない(緊張で相手の前で取り乱してしまう)ので拒もうとする。多くは不安の塊かつ弱い自分を魅せたくないからこそ引きこもりなっている。親を拒む場合は多くの場合は避けている罪悪感に苛まれているが、親不幸(可哀想)に思ったりもしていて、親に対する罪悪感のせいで苦しんでいる件も隠そうとしたりして平気そうな態度をしてしまう。

拒まれた可哀想な親について忖度し、病んでないかのように振る舞ったりもしてしまい、あたかも怠けて部屋に引きこもってるかのように演出してしまう。
この段階に至った末期的な引きこもりについて、親が半径数メートル、気配、音の存在感じさせるだけでプレッシャーになり、思考がフリーズしていて、もしも1.勝手に部屋に入る ※とはいえ部屋に入る許可を取ったかといってセーフではないだろう。養われている立場上、親の要求(些細な要求である入室)は断れない。部屋に入る同意を得ていたとして勝手に部屋に入ったのと同意味になってしまう。

のような強行手段で距離を詰めようとしてもフリーズして止まっているので会話をしても親を無視しているように見えたり、顔を合わせる事ができない恥ずかしい自分を観られたくない為に布団にくるまって背を向けてたりで怠けているように見えたりする。


この段階で怠けだと誤解し、説教したり、人生論を説いたりすると、親としての信頼は失墜する。と思います。

親に忖度し気を使いパニックしフリーズして地獄のような時を過ごした苦労を一切気付きもしないで、怠け者のように解釈してしまう浅はかさに、いつか身ぐるみ剥がされて棄てられてそれが荒療治かのように正当化されかねない親なのかもしれない、追い出されれば死ぬしかないので死を覚悟してそれ以降は生きなければならない。親はいつしか死の象徴のような存在になりPTSDを発症したり元々もあったそれが悪化したりする。

親の前で狸寝入りした事や無視した件等が不安になり寝ても覚めても親の事を考えるようになり、当人ですら想定していなかったその不幸に24時間苛まれるようになり

親が 1.勝手に部屋に入る 2.コミュニケーションを取ろうとする 3.悲観する

そのどれもが自殺したくなる程の苦痛に苛まれている。特に引きこもっている件について 3.悲観する は、子に対して引きもこりのせいで親不孝を体験してますよアピールになるので、引きこもりから生きている価値、自己肯定感を削っていく

例えば子供に聞こえるようにため息をしたり、神棚に拝むよに手拍子したりは、親としてベストを尽くしているのでもうこれ以上は子に忖度できません というメッセージを暗に子に伝えてしまねず、追い詰めていると自覚してしまい罪悪感に染まっていく

親に緊張し警戒し思考の多くが日常的に親にまつわるものになっている引きこもりについて

人生の多くをある意味親に奪われているようなもの。24時間親に忖度し思考が束縛された常態化ともいえ、空気を読めなさすぎた親に対して怨みや憎悪等を併発する可能があり、この段階になると胃炎や胃潰瘍等を過去に何度も経験している可能性もあり、実質、親のせいで死にかける日々を繰り返しているならば 子から見れば親は順犯罪者、あるいは殺人未遂者のようなもので、そのような知見になっていると関係改善は犯罪者と被害者の関係のように難しくなるだろう。仮に引きこもりから離脱したとしても犯罪者が喜ぶような生き方はできないはず。稼いで貯金をしても親が安心してしまい親の財布のヒモが緩くなり老後の介護負担の多くを子にスライドしてくるのではないか、または押しつけくるのではないかの疑心暗鬼するならば、働く意義が以前よりもより多く失ってしまい、引きこもりがより正当化されやすい

2.コミュニケーションを取ろうとする
引きこもりをどうにかとする行為に属する親や親族等の試みはその全てが 引きこもり対して 3.悲観する に関係しているので、1.勝手に部屋に入る
2.コミュニケーションを取ろうとする
3.悲観する
のタブー度数がより深刻になっていく可能性

パニックの果てに発狂したり壁を殴ったり物に八つ当たりする可能性もある。
もしそうなると、単なる暴力的で利己的でワガママで社会から逃げていると思われているような不名誉を得てしまい、冤罪犯罪者のような汚名と共に生きているようで、そうなるようになった浅はかな自分や外側(親族)についても許せなくなり、死ぬ可能も高くなるかもしれない。逆に、そんな子を持ってしまった親が可哀想で死ぬに死ねずで、生きてても死を意識した生き方につき現状から離脱する意義とすれば良いかもだが、逆にどうせいつか死ぬからと開き直って引きこもりが正当化可能性も。親の余命が短いならそれを受け入れて死ぬ準備を整える覚悟を作る方が簡単だと解釈する可能性もありそう。




皮肉にも引きこもりの親はこの主要な三点【1.勝手に部屋に入る 2.コミュニケーションを取ろうとする
3.悲観する
】 やってしまいがちになる。


引きこもりの平均引きこもりしている年数は22年(※筆者の記憶はあいまいです。確かに2016年頃、内閣府の初期の引きこもり調査※残念ながら資料元が不明)

引きこもりの平均引きこもり年数は22年とされてて、引きこもりが社会問題として認知される前からの引きこもりの割合多くが改善しない傾向が強い可能性を示唆している。恐らく引きこもりにやりかちな主要3点が、どれも地雷になる可能性が高いからで

この説は引きこもり当時者(筆者)の見解なので、多くの面でリアリティはあるものの当事者だからこそ感情が入り過ぎて客観的視点を欠いているかもしれない。自分も引きこもりだけれど全く違うよ!と思う読者がいるのであれば、このnoteを共有し、その主張を発表してお知らせしてくれると幸いに思います。 

何日か前に親は私に紙を差し入れました。そこには一緒にどこかへの外出予定日が書かれていて当日に誘いにくる宣告がされていました。

それからというもの心が壊れています。毎日が生きた心地がしません。その心理的負担はもはや理屈では説明できない。長年体に染みこんだトラウマ反応のようなものかもしれない。外出を想像にするに説教されるか人生論語で自慢話されるか、無理心中の誘いがあるか、とにかくネガティブ想像しかできない。きっと150%誘いを断るでしょう。というかフリーズなので声すらも発せられないのが落ちです。

これまで何度もバイトのチラシ等をドアの隙間に入れられたりもしましたが、その頃(約20年前)はまだ今よりも遥かに症状は軽かったと思います。引きこもり気味でも外出は可能であったけれど、引きこもりを認めたくない親の態度が20年蓄積されていくと、それが原因で家から一歩も出られなくなります。それはきっと家から一歩でも出てしまうと症状改善の兆しと期待されて、ライオンが子を崖に落とすような昭和のスポコン漫画のような事をされそうで怖いからだと思います。それを避ける為により引きこもらざる負えなくなる。そんな引きこもりの数はどれだけいるのでしょうか…

たまにテレビで引きこもり問題が特集されますが、私が見たシーンでは引きこもりが『親のせいで引きこもりなった』という台詞を吐いたりして、誰にも理解も共感もされない社会の闇のような演出がされました。しかし実際のところ、引きこもりとして今の生活立場を維持しようとすれば引きこもりは尚更に外に出られなくなるのが現状なのではないでしょうか? 親を期待させて裏切るリスク(親不孝のリスク)を背負う事になりかねない外出は親の為を思えばこそ外出できなくなる。

それは引きこもりの視点を冷静に想像すれば誰もがヒントなしでも辿りつけれる視点なのではないのでしょうか。その想いを汲み取れない、忖度できない視野の狭い人々をどうやって尊敬しリスペクトすれば良いのでしょうか?

リスペクトできない社会の為に働いて歯車のようにされるなんてアザーラは嫌です。


アザーラの立場的には
ダイイング・メッセージに『アザーラ17世 検索かけてね♥️』を残して餓死等してウジ虫たからせて引きこもり概念の教示にしてやる仕事(死事)くらいしか思い付きません。



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