吉田君の遺稿(mixi:2005年1月1日〜1月15日) 1 MSW_blues 2024年10月17日 21:30 ¥100 「瀬戸内海の貝柱は大」2005年01月06日22:2031日、岡山で有名らしい、コックリさんお祓いおばあちゃんがいる、福田神社に行った。福田神社は、赤穂線の香登という駅にあり、31日は大雪の後で山陽本線、赤穂線のダイヤが大幅に遅れてたりなんやりして、岡山の先輩の家から香登まで一時間で着くところを5時間以上かかって着いた。つま先が凍ってしまって感覚がなかった。赤穂線は単線の2両編成のおばあちゃん連中からみかんを大量にもらう阿藤海がよく似合うぶらり旅系列車で、格好良かった。実際みかん食べた。おばあちゃんの靴下の味がした。無人の香登駅について改札を通過してすぐの所にいきなり、罪改めよ、と黒地に書かれてて、胸がずっしり黒ずむ。重い。タクシー会社に迎えにきてくんろ、と電話を入れると、「この雪道を福田までの山道、勘弁してください」と丁寧に断られ、せっせと雪で凍った山道を歩く。やっとこさ家が何件か並んだ集落について、真ん中辺りに雰囲気抜群の福田神社があった。そこは見た目神社ではなく、誰かの家だった。中に入ると九官鳥が出迎えてくれた。さらに奥に入ると、色んな大きさの達磨、色んな色の招き猫、色んな長さの糸瓜、瓢箪に囲まれて、真ん中に夥しい数のコックリさんを奉った神棚がずでーんと、ある種のパラダイスのような部屋になっていた。その神棚の前、太鼓の横にコンパクトに畳まれたおばあちゃんが置いてあった。この人こそ、ここの内装を一手に手掛けた匠が光る奇才ルームコーディネーター、福田さんである。福田おばあちゃんとの面会は5分で終わり、10分後には寒空の下を福田さんに貰った大量のみかんを食べながら香登駅を目指していた。こっくりさんは年末忙しく、今日は降りてこなかったらしい。帰りがけに「演歌歌手になったらええ、ギャンブルは弱いからぜってぇすんな」とだけお告げを頂いた。福田のおばあちゃんから。訳を聞くと、福田のおばあちゃんの孫は東京で演歌歌手として成功しているらしい。この部屋で唯一ださい演歌のポスターが貼られていた理由が理解できた。今は訳あってここの近くで備前焼を焼いているらしい。一体、成功とはなんやろか。1日におとん側の実家、枚方のおばあちゃんちに行く。枚方のおばあちゃんは90%ぐらいボケていて、コタツの端っこでぐにゃぐにゃびちゃびちゃしていてあまり会話は出来ない。正月で遊びに来ていた従姉妹の子供、らんちゃんとデジカメでパシャパシャおばあちゃんに絡みかかっていると、いつもモゴモゴしてるおばあちゃんの口が、はっきりとした口調で「わたし見てないで、テレビでも見てなさい」と凄んだ。らんちゃんと僕は一瞬ビクッとして動きが止まったけが、子供心の火がついてしまったらんちゃんは意地になっておばあちゃんにパシャパシャとやる。おばあちゃんの変則の効いた凄みも小3の女子には効かなかった。それにしてもおばあちゃんは、皺がありすぎた。おばあちゃんが端っこに居座る炬燵には、おとん、おとんの兄、弟、姉、おかん、全然知らんチワワみたいなおっさん、とかなんとかで合計8、9人ぐらいがわんさかいてリアル浦安鉄筋家族みたいになっていた。2日、三重名張に帰った。おとんとお兄さんとボーリングをした。おとんは昔、ボーリングが上手かった。昔はもっと右足をロールさせていたのに。2005年。名張を出たのが1900年代、20世紀。おとんの右足のロールが弱くなった事に月日が経っていく事を知る。2005年、右足上げます。 ダウンロード copy ここから先は 3,734字 / 13画像 ¥ 100 購入手続きへ ログイン #メンタルヘルス #セルフケア #自殺 #メンタルヘルスケア #グリーフケア #共依存 #自死 #当事者 #自死遺族 #精神疾患当事者 #グリーフ #当事者意識 #悲嘆 #支援者支援 #当事者性 #身内の自死 #遺稿 #遺稿シリーズ #自死遺族として生きる #遺稿集 #ポストベンション 1 この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか? チップで応援