海軍カレーに思いを馳せて
15世紀のヨーロッパ。大航海時代の幕開けとともに、船乗りたちは見果てぬ夢を追い求めて大海原へと繰り出した。
彼らが欲しがったのは、金銀財宝、未知の発明品、未開の土地だけではなかった。
当時、薬としての効能が信じられていたスパイスを探し求めて、その旅路はヨーロッパから遥か東のインドや東南アジアに至った。
タミル語で "kari" と言われたインド料理は、やがてヨーロッパ人から "caril" や "currey" などと呼ばれた。
それらは、イギリスで配合され、かつて黄金の国ジパングといわれた日本に伝わり、次第に国民の間で受け入れられていった。
その過程では、常に大航海時代の帆船や近代海軍の船乗りなど、海を志し、海を生業(なりわい)とする者たちが介在していた。
カレーは日本海軍でも積極的に取り入れられ、その末裔である海上自衛隊の船乗りや、その母港、横須賀や呉では、いつしか「海軍カレー」と呼ばれるようになった・・・
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さて、今回は、この海軍カレーをはじめ、もはや国民食といっても過言ではないニッポンのカレーライスについてのお話です。
1 海軍料理研究
日本の海軍料理研究の草分け的な存在として知られるのは、高森 直史(たかもり なおふみ)氏です。
海上自衛隊で、隊員の喫食や兵站に関わる職場で活躍され、退官後も食に係る数多くの著書を執筆されています。
本稿では、これら高森氏の研究成果を参考にしながら、カレーにまつわる個人的な見解などを述べていきたいと思います。
2 カレーの歴史
(1) インド料理の起源
多くのスパイス(注1) を使用するインド料理の起源は定かではありませんが、今から5,000年以上前にインドで生まれた医学「アーユルヴェーダ」にスパイスを使った食事の指南が見られることから、その歴史はインダス文明時代にまで遡ると言われています。
「カレー」の語源は、タミル語の「カリ」(スープの具)と言われていますが、そもそもインド人はこの言葉を使わず、個別の料理名で呼んでいたようです。
17世紀初頭からヨーロッパでインドの煮込み料理全般を「カレー」と呼ぶようになり、この言葉が広く世界に普及しました。
(注1) カレーの基本スパイス:クミン、コリアンダー、ターメリック、レッドペッパー、ガラムマサラ、カルダモン、オールスパイス、クローブ
(2) イギリスから日本に伝来
14世紀、ヨーロッパではペストが流行し、予防や治療にはスパイスが有効と考えられていました。
スパイスの獲得においては、1600年に創設されたイギリスの東インド会社が果たした役割は大きく、初代総督ウォーレン・ヘイスティングスが、1772年に初めてマサラ(注2) を本国に持ち帰り、その後、ヴィクトリア女王にも献上されました。
(注2) 数種類のスパイスの粉を調合した調味料
以来、カレーはイギリス王室料理のひとつに加えられ、ヨーロッパ全域に拡がっていったのですが、カレーの拡散に大きく貢献したのが、様々なスパイスを混合したカレー粉 (注3) を考案したイギリスのC&B社 (注4) でした。
(注3) 1810年のオックスフォード辞典に "Curry Powder" の語が登場
(注4) エドモンド・クロス (C) とトーマス・ブラックウェル (B) が設立
この「C&Bカレーパウダー」は、1870年頃(明治初期)には日本に伝来したようです。
イギリス料理といえばフィッシュ・アンド・チップスですが、日本のカレーライスの原型はインドから直輸入されたのではなく、イギリス料理としてやってきたわけですね。
(3) 日本初期のカレーライス
ただ、当時は牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、人参などの現在のカレーに定番の具材は食べられておらず、長ネギが使われていたようです。しかも、高級料理の部類に位置づけられていました。
定番の具材がカレーに入り始めたのは明治半ばのことで、1906年(明治39年)の雑誌「家庭之友」に玉ねぎ、じゃがいも、人参、牛肉(注5) などの具材が確認されます。
(注5) 玉ねぎとじゃがいもの本格栽培が始まったのは明治以降で、牛肉が食卓に上がるようになったのは、明治5年に天皇が食したことがきっかけ
(4) 海軍初期のカレーライス
1870年(明治3年)、創設間もない日本海軍は、イギリス海軍から様々な知識・技術を取り入れることにしました。
1872年(明治5年)に発行された「西洋料理指南」にカレーライスのことが書かれていて、これが日本最古のカレーのレシピです。
また、海軍最古のカレーは、1908年(明治41年)に海軍経理学校が発行した「海軍割烹術参考書」に紹介されている「カレイライス」です(後述する「よこすか海軍カレー」は、このレシピを現代風に復刻したもの)。
その後、1932年(昭和7年)に同じく海軍経理学校が発行した「海軍研究調理献立集」では、それまでのチキンに加えて、伊勢エビ、アサリ、サバなどを使ったカレーが紹介されるなど、レシピの広がりが確認されました。
(5) カレーライスの原型が誕生
初期の日本海軍といえば「水兵には、白米を腹いっぱい食わせておけ」という考え方が主流で、たんぱく質やビタミンB1の不足から、脚気(かっけ)による罹患者数の増加が深刻な問題となっていました。
このことを知った軍医の高木 兼寛(たかき かねひろ)は、1884年(明治17年)、練習艦「筑波」で航海実験を行い、兵食の改善に取り組みました。
イギリス海軍で出されていたカレー風味のシチューに小麦粉でとろみを付け、ライスにかけた食事(注6) を提供したところ、栄養状態が劇的に改善されて、翌1885年(明治18年)には脚気の撲滅に成功しました。
(注6) このレシピが、現在のカレーライスの原型になったといわれる
このように、日本海軍では「船乗りの食事」ということも大きな課題だった訳ですが、カレーはイギリス海軍の船乗りたちにも親しまれたレシピのひとつとして、日本海軍に引き継がれたのです。
(6) カレーは海軍が発祥ではない
なお、巷ではカレーは海軍が発祥であるかのような噂話を見聞きすることもありますが、実際は市民の間で広まったカレーを海軍が取り入れた、というのが真相のようです。
ただし、「肉じゃが」については、確かに海軍が発祥みたいですが。
3 今に引き継がれる海軍カレー
カレーが国民食としての地位を占めるようになったのは、1950年代中期に、スープ(ブイヨン)を作る手間を省いた固形ルウの発売が始まってからのこと(それまでは、カレー粉から作る難度の高い料理だった)。
そして、日本海軍の末裔とも言うべき海上自衛隊においても、やはり「船乗りの食事」というのは士気に関わる重要な課題でした。
巷では「海の上に居ると曜日が分からなくなるので、毎週金曜日にカレーを出している」といった噂話を見聞きすることもありますが、こちらも事実ではありません(そもそも、曜日が分からないようでは、海を生業とする職業人として失格です('ω'))。
確かに、海上自衛隊では毎週金曜日の昼食にカレーを出していますが、この習慣ができたのは、週休二日制が導入された1980年代後半のことです。
週も後半になれば隊員も疲弊しがちになるので、楽しい週末に向けて最後のひと踏ん張りを促すという、裏方で隊員を支える方々の親心だったのかもしれませんね。
面白いのは、海上自衛隊では各艦ごと異なるレシピが存在していることです(☞ 海自カレーのレシピ全62種)。
また、母港の横須賀、呉、佐世保、舞鶴などでは「海軍カレー」「肉じゃが」「ネイビーバーガー」など「街おこし事業」とも連携し、飲食店でも一部の護衛艦のレシピを味わうことが出来ます。
4 カレーライスあれこれ
(1) 海軍カレー
横須賀海軍カレー本舗にて。横須賀中央駅近くのほか、ヴェルニー公園の方にも店舗があります。
先述のとおり、海軍割烹術参考書に書かれてある「カレイライス」を現代に復元したのが「よこすか海軍カレー」です。
このステレス製の食器は、実際に護衛艦で使われているものと同等品です。
辛口がお好みの方は、「黒船カレー」をチョイスしてください。
「夏は、横須賀海軍カレー」by 小泉進次郎
ご本人が言いそうな言葉ですね (^^;
こちらは、海上自衛隊呉資料館(通称「てつのくじら」)で展示している潜水艦をモチーフにした「あきしおカレー」です。
この食器も、実際に護衛艦で使われているものと同等品です。
(2) 一般のカレー
ココイチでは、大概「シーフード・カレー」の1辛を注文します。半分くらい進むと、じんわり毛穴が開く感じがします。あと、ココイチのソーセージはめちゃウマです。
しかし、米海軍の将兵や家族の方は、みんなココイチが好きですね。横須賀や岩国の店舗では、時間帯によってはいつも行列が出来ています。
他の店舗では、割と健康に気を遣って野菜カレーを頼むことが多いです。
(3) ホテルカレー
さて、歴史と伝統あるホテルカレーと言えば、横浜にあるホテルニューグランドの欧風カレーです。
1927年創業の歴史あるホテルで、1945年8月30日、パイプをくわえて厚木に降り立ったマッカーサーが最初の3日間をこのホテルで過ごしました(本館315号室は、マッカーサーズ・スイートとも呼ばれる)。
ここで初代料理長を務めたサリー・ワイルは、ドリア、ナポリタン、プリンアラモード、アラカルトのほか、「玉ねぎを飴色になるまで炒める調理法」などを生み出した日本洋食界のパイオニア。
彼の下で学んだ弟子たちが、帝国ホテル、ホテルオークラ、東京プリンスホテルなどの名だたるホテルの総料理長となり、やがて洋食が日本中に広まっていきました。
そんな方が、先述のイギリスC&B社から、日本で同社のカレー粉を使ったカレーライスを作ってほしいと依頼を受けたのです。
その歴史と伝統あるカレーが、ここで食べられます。ただし、お値段は2,000~3,000円代と、カレーライスにしてはなかなか値が張ります。これまでに食べたカレーライスの中では、間違いなく最高値でした。
ただ、付けあわせは福神漬(注7) 、らっきょ、ピクルス、タマゴ、パイナップルと、かなり豪華です(これもアラカルトですかね)。
(注7) 福神漬は、1902年(明治35年)頃、欧州航路の日本郵船で一等船客に供するカレーライスに添えたのが最初で、それが日本中に広まった
(4) 市販品
店舗での外食やお土産品は、どうしても割高感が付きまといますが、自宅で手軽に安価に食べれる市販品も捨てがたいです。
最近のスーパーでは、コーナーのほぼ一面がカレーで埋まっているスーパーもあり、じっくり見てみると面白いですよ。
写真右下の「黒樺牛(くろはなぎゅう)ビーフカレー」は私の故郷・熊本の高級レトルトカレーで、熊本城下にあるホテル・キャッスルの料理長監修のもと、丹念に煮込んで仕上げたものです。
レトルトにしては1,200円と割高ですが、その分、しっかりしたビーフとコクのあるカレーソースが味わえますので、是非、一度ご賞味ください。
おわりに
とういわけで、日本のカレーには色んなものが「詰まっていて」本当に凄いと思います。
「詰まっている」のは、単にスパイスのみならず、5,000年のインドの食文化、東インド会社とイギリス王室、そして大航海時代から近代海軍に至る、海を生業とする者たちの壮大な歴史物語も一緒に詰まっているからです。
定番の「おうちカレー」が一番の御馳走なのですが、固形ルウを手にするとき、そのひとかけらに濃縮された歴史と海洋のロマンを感じずにはいられません。
高森氏は、著書「海軍カレー物語」の冒頭で、「カレーほど単一的料理名でありながら実は多様で、しかもどれもおいしい料理はない」とおっしゃっています。
この一文を読んだ時、「いや、これって日本人の特徴そのものだよね」と思いました。
つまり、単一民族の日本人が、多様な八百万(やおよろず)の神々を生み出したように、カレーの食文化においても多様なカレーライスを生み出した。
甘口から辛口まで選べるほか、具材もビーフ、ポーク、チキン、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、卵、カボチャ、ほうれん草、マッシュルーム、レンコン、とんかつ、エビフライ等、好みや宗教に応じて選び放題。
付けあわせも、福神漬やらっきょ等、様々で、各家庭の「おふくろの味」も加味すれば、そのバリエーションたるや、「八百万」と言っても過言ではないでしょう。
悠久の時を超え、海を越えてやって来た様々なスパイスや具材が、お皿の上で喧嘩せず、調和の下で共存しているニッポンのカレーライスは、まさに「和洋折衷の極み」だと思います。
後半は、だいぶ「海軍カレー」とは違った話になりましたが、以上、「カレーづくし」の note でした🍴🍛😋
イギリス海軍については、こちら👇
そういえば、先日、創業から50周年を迎えた全国のセブン・イレブンで「よこすか海軍カレー」の期間限定販売が始まっています。