外資系シングルマザー看護師が日本語教師を目指した話。外資系から→看護師+日本語教師フリーランス 収入はいくらに?※収入公開。
新しく働く病院の内定をいただいてから、日本語教師の活動にも腰を据えて取り組むことができている。
日本語教師養成講座の授業の傍ら、週に5回~6回、生徒さんに日本語レッスン。
ラインマンガを読んでゴロゴロしていた頃よりも、
なぜか仕事が決まってからの方が色々な作業がはかどる。
最近は、新規の生徒さん、レッスンを再開したいとの申し出があった生徒さんもいて、今の私は5人の生徒さんを抱えている状態だ。
みんないわゆる直接契約。オンラインのプラットフォームを利用することがオンライン日本語教師の王道と考えていた私だったが、蓋をあけてみると、実際に私が教えているのはプラットフォーム利用しない直接契約。
前職の同僚やそのご家族を中心に、5人の生徒さんにレッスンを提供している。
今は養成講座の実践の授業が3つあって、教案作成や、模擬授業の準備などの課題があるため、それが日中の仕事のようなもの。
日曜日に3時間授業×2コマ、木曜日に3時間授業1コマの計9時間を
ヒューマンアカデミーの420時間講座に充てている。
わたしの毎日のスケジュールはこんな感じ。
↓↓↓
月曜 生徒さんレッスン+学校模擬授業準備+翌日生徒さん授業準備
火曜 生徒さんレッスン+ピアノレッスン+インスタコンテンツ作成+翌日生徒さん授業準備
水曜 生徒さんレッスン+学校模擬授業準備+翌日の生徒さん授業準備
木曜日 生徒さんレッスン×2人+学校模擬授業準備+翌日生徒さん授業準備+学校授業3時間
金曜日 学校模擬授業準備+翌日の生徒さん授業準備
土曜日 生徒さんレッスン1時間×2人+学校模擬授業準備
日曜日 学校授業 6時間+インスタコンテンツ作成
とまあまあ忙しい。さらに、12月からLanguage Exchangeのサークルも主宰することになったので、MeetupのセッティングやSNSでの情報アップデート、公民館の予約などもしている。
上記の予定プラス、ピアノの練習も毎日しているので、家から出ない(笑)どんどん筋肉が脂肪に変わっていく。
人間、仕事していないっていう状態になると、今までどんなに人間離れした勢いで、外資系企業でプロジェクトを8個も9個も抱えてマルチタスクで膨大な仕事を150%の力でやっていたような人間でも
だらける。怠ける。
すっかり怠けて、脳の神経も毎日すごい勢いで死んでいっているというか、
シナプスがつながらなくてボケー――っとしてしまって
ついでに会社も辞めて人と話さず猫と息子としかほぼしゃべらないので
英語どころか日本語の大人の会話もできなくなってくる。
危ない…。
ありがたいことに、11月上旬に面接を受けた病院で採用が決まったのだが、
その前の日々を思い返すと、本当に毎日、Indeed やら看護師ワーカーやら、ハローワークにLinkedinと、時間さえあれば求人情報を見ていた。
無職というのは本当にメンタルにも悪い。
人は心理学的にも、役割を持っているほうが人生の充実感も幸福度も高く要られる生き物だ。
仕事というのは、良い側面として、その「役割」というのをシンプルに与えてくれる。
11月の2週目には、ほぼ看護師としての再就職のめどが立ち、すると自然に活力が湧いてきたというか。
時間は以前よりもないはずなのに、作業をしたり、日本語教師のレッスンについても、自分の作成したコンテンツに自信を感じるようになったりと、人間らしく張り合いのある生活に戻ってくることができてきた。
就職活動を3週間ほどでぎゅっと集中してやったので、その間はピリピリしていたが、今思えばあのフェーズはこの人間界にカムバックする前の準備運動のようなものだったのかもしれない。
怠け切った体はスーツもきつく、老体に鞭打って・・・もとない、
引きこもりに鞭打ってみたいな体感だったのだけれど。
結果的に、1月からの正社員での看護師の仕事が決まり、脊椎専門のセンター病院で働くことになった。シングルマザーあるあるかもしれないが、私は子どもと2人で暮らしていて夜勤ができないので、正社員で働くとなると日勤オンリーでも可能なところを探すこととなる。
看護師というのは知的ブルーカラーと呼ばれているけれど、本当に肉体を酷使しつつ、常に頭も働かせていて、気も遣っているというミックスされた労働者。かつ、だいたいは病院となれば管理職以外は夜勤がつきもの。
クリニックというと休みはとりにくいし、そして込み合う診療科で午後診療をしていれば、終わりは午後7時頃になるだろうか。
さらに院内の片づけなどで30分弱、着替えて病院を出て、通勤時間もあるわけなので帰宅は早くても20時は過ぎてしまう。
看護師が昼間働こうとすると、まあまあ職場は限られてしまうのだ。
新築一戸建て(建売り)のいまの家屋を買う前は、実母の自宅から5分という場所にオンボロ借家を借りて住んでいたから、救急外来でも残業ありありでも仕事はできていた。夜に病院から呼ばれても、子どもを実母宅に預けてから出動することができていたし。
でも、なまじ田舎の中の都会というような隣市に引っ越して、周囲には簡単に子どものことは頼めない環境になってしまった。
家を買い、引っ越した後に、まさかあのような予想していなかった事態が起きるとは・・・当時は全く予想していなかった。
あまり公には言えない、外資系企業に転職してから起きたこと、そして外資系企業から看護師+フリーランス日本語教師へキャリアチェンジしての収入など、リアルな数字を公開しながら話してみようと思う。
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