夜は何時になっても眠れない。やっと眠くなったと思ったらもう朝。1日が48時間だったらちょうどいい ASD/ADHD。
夜眠れないのが標準設定のADHD。普段と違うことが翌日待っていると思うと眠れないASD。
ASDベースでADHDの要素が濃い私は、その両方が起きる。
自分の自然なリズムに任せてみると、22時くらいは頭が冴えて、最も調子が良く、頭がすっきりしていてアイデアが程よく浮かんできたりする。
人間は、起きてから大体8時間後と、17時間後ごろに眠くなる。
エネルギーの燃えカスとも言われるアデノシンという物質が脳に蓄積してくると、人は眠気を感じる。また、日光を浴びてから17時間後くらいに眠くなるようにできている。
その波が8時間後、17時間後というわけだ。
※ちなみに、アデノシンはカフェインに分子構造がよく似ている。
カフェインを摂取すると眠気が押さえられるのは、カフェインが先回りしてアデノシンが受容体にくっつくのを妨害するせい。
で、私のような発達障害傾向があると、概日リズムが遅くにずれていたり、低アドレナリンのせいで朝起きられず、やる気が起きないという症状があったりする。
本人の意欲の問題という以前に、神経伝達物質が不足しているのだから悲しい。
さて、そこで何とか起きたとして、夜はどうかというと、日が沈んでから元気になってくる。
やる気も出る。
「もうやるべき仕事もないからやっとリラックスして好きなことができる!」とようやくストレスや重圧から解放される感じがするのだ。
すると、ここでやる気が湧いてきたり、活動する元気が湧いてくる。
たとえばブログなどの文章を書き始めたり、Youtubeやマンガ、ゲームをやり始めて止められなくなる人もいるだろう。
私はここで、日中の遅れを取り戻すべく作業に取り掛かるとエンジンがかかってしまい、なかなか止めることができない。
ああ、良い感じに集中できているな~と思うと大体0時くらい。
ああ、ようやく疲れてきたな~と思うのが2時ごろ。
「眠らなければ」と思い、ようやく手を止めて、ベッドに入るものの全く眠くならない。
ぜんぜん眠くならないので、スマホでマンガを読んでみたり、Youtubeを見てみて、疲れが限界に達するまでしばらく続けてみる。
そのままだと永遠に続けられそうなので、諦めて目を閉じる。
最後に時計を見るのは4時。
7時頃になると、近所の家の子どもの声や、車の音などが聞こえてきて、
「ああ、世間のひとが今日という日の活動を”始めた”な…」と浅い意識のなかで思う。
しかしようやく眠ったのはほんの2、3時間前。
体はだるく、まだまだ疲労はたまっている。
しかし時計をみて、
「体の疲労を取るためにはもう少し眠らなければ…」と焦る。
「アレクサ、9時15分にアラームをセットして。」
と、予定のぎりぎりの時間をアレクサに告げてまた目を閉じる。
しかし頭のどこかで、起きなければと思っているので、
浅い眠りの合間に、その後も30分毎には目が覚める。
7:30、8:00、9:00…うとうとしながら、短いインターバルの数10分の眠りを経て、アラームが鳴るころにやっと眠りが来る。
「ああ、やっと眠れたと思ったのに起きなきゃ…」
頭痛とめまい、肩こり、軽い吐き気とだるさに包まれて、
「全然寝ていないけど大丈夫かな…」
そう思いながらベッドから出る。
そんなのが日常だ。
もちろんこれは、最初の予定が10時頃だったらの話。
8:30から仕事だという時には、こうはいかないので、
睡眠薬の力を借りることになる。
自然に任せていてはとても眠れないのだから。
一番の理想は、1日が48時間あること。
もしも1日が48時間だったなら、
昼の11時か正午ごろに起きて、軽い作業をしてお腹がすいたら少ない量の食事を摂る。
PCに向かっていくつか作業をしたのち、遅い午後に昼食。
日が落ちてから本格的に作業し、朝4時―5時に眠る。
そのまま昼までゆっくり眠るのだ。
数時間リラックスしたのちに、次の日に向けて準備をする。
そのくらい長い時間で一つの周期が回ってくれたらいいと思う。
定型発達人に合わせた社会生活のリズムは、からだの作りと合っていない。
眠りを促す薬に頼らなければ、人間らしい時間で生活できないのだから虚しいものだ。
世の仕事が、もっともっと、フレックスタイムだったら。
発達障害人もいい仕事ができるだろう。
定型発達人によって設計されたこの世は生きにくい。
一日を24時間制、35時間制、48時間制という単位でセットアップしてくれるような会社があったらいいなあ。
そんな妄想をしてしまう。
私はというと、フレックスタイムの前職を退職したわけだが、
1月からは8時~17時までの看護師の仕事に加え、夜はフリーランスの日本語教師の仕事をする予定だ。
疲れても脳のスイッチを切ることが極端に苦手な私は、睡眠薬に頼ることになるだろうと思う。
貧乏暇なし。
シングルマザーという立場上。
働かないとやっていけないので、発達障害だろうがなんだろうが生きていくために頑張るしかない。
ADHDの衝動性のせいで、好奇心が湧くと仕事を変えて新しい興味の方に進みたくなってしまうので、だいたい4年ほどで次の職に移りたくなってしまう。となると、昇給する前にまた1から働くことになるので、収入もまた安いところからスタートだ。
できることは色々増えていくのだけれど一所で収まれないのだ(笑)
器用貧乏といったら聞こえはいいが、
色々できるけれども極められない。…というか飽きる。
いっそのこと限界やリミットを世間の常識にセットしないほうが、本来の才能を発揮できると感じる。
私のように、複数キャリアで食べていくのもいいかもしれない。
そうこうしているうちに、12月。また1年が終わる。
来年1年はどんな年になるのか。
5年後はおろか、1年後自分が何をしているのか全く想像もつかなかったりするのが、面白くもある。
わかっているようで、一生じぶんのことがわからないのが発達障害人なのかもしれない。
そんな不器用でアンバランスな人種が、
繊細で、尊くて、退屈しないと思う。