誰のものでもない自分の人生を生ききるということ
この半年間…いやもしかしたらもっとずっと長い間、体じゅうの細胞が自分はこの仕事を辞めなければならないし、手放さなければならないと教えてくれていたのに、結構長いこと無視したり押さえつけてきたのかも。ごめん。
それは「自分は賢くて有能な人間だ」と思いたかったからなのかもしれないし、周りが期待する自分を演じたかったからかもしれないし、今まで築きあげてきた人間関係、安定した暮らしを手放したくなかったから、かもしれない。
周りのノイズにがんじがらめになってしまって「自分ってどうしたいんだっけ・・・?」という状態。(もともと周りの声に影響されやすいタイプ)
テレワークでふっと時間が空いたとき「ちょっと散歩にでも行きたいな~」と思いつつ、「いやいや勤務時間中だから家にいなければならない。緊急連絡があるかもしれないし。」と、自分を律するとき。
自由に家からも出ることができないとき。
わたしは自分で自分をコントロールしているようで、実は、何かに支配されているのではないかとハッとする。
特に異動してからは、気を抜いたら最後という気がして、ものすごい気疲れしていた。
相手に合わせ続けていると、だんだん自分の声が聞こえなくなってきて、ものすごい無力感を感じてしまう。
子供のため。家族のため。って言い訳して自分の声に耳を傾けず
しんどいから、最小限のエネルギーで働いて、
これ以上は役に立てないもどかしさを感じつつ
それでもこれ以上やりたくなかった。
でもそんな声も押さえつけて、
しんどーい、しんどーいって思いつつ
「女性も働ける世の中になったんだから幸せよ」
「子供を育てながら仕事させてもらえるんだから」
「正社員辞めないほうがいい」
っていう世間の声に
「そうだよな、そうだよな」って自分を納得させていた。
でも、なんかちがう!!!
今、必要なものはすでに持っているのに、そこに満足できない寂しさ。
新たに欲しいものを手に入れても、なんだか満たされない虚しさ。
足りないものにばかり目がいく悲しさ。
どうやったら損せずに生きられるのかばかり考えてしまう。
そんなの嫌だなあーって。
思いついたというか・・・多分、思い出したんだと思います。
思い出すキッカケとなった2冊の本を紹介して終わりにします。
本って出合うタイミングがありますよね。
このタイミングで出合えたことに感謝。
緊急事態宣言でやることないGWに読んだ「無痛文明論」(森岡正博 著)
「泣ける子に育てよう」のあとがきに登場して興味を持ち、図書館で借りました。かなり分厚いですがわりとスラスラ読めます。
(無痛文明とは)将来、自分がどのようになっていくのかきっちりと見定め、その大枠から外れないように自分の将来をコントロールしていこうという精神性に支えられている。自分がよって立っているところの基本的な枠組みを保持したまま苦痛を避けたい、快を求めたい、人生をコントロールしたい、獲得したものを手放したくないという欲望が無痛文明を押し進める。
実際はこれらを独り占めしていることで自らが生きにくくなっている。
自己を解体し先の見えない闇に向かう選択を自らに課すことが必要となる。
もっともっとほしい!
でも今持っている既得権益は絶対に手放したくない。
破滅しか見えませんが、
実際自分の胸に手をあててみると、どうでしょう。
「自己の解体」と難しい言葉で書いているのですが、そこについても解説してありましたので一部だけ嚙み砕いてご紹介します。
隠れたアイデンティティと自分の本当の願い
私は○○のような人間だ(であるはずだ)という自己認識を「アイデンティティ」と著者は呼ぶが、アイデンティティに関して、以下3つのキーワードが出てきます。
⑴表層アイデンティティ・・・人が自分に期待する自己イメージ
「私ってこうなんですよね〜へへッ」というときのイメージ。
⑵深層アイデンティティ・・・ヘヘッと言いつつ腹の底で本当は⑴のような人間ではなく本当は⑵なんだ!という自己イメージ。決して人には見せない。
深層アイデンティティについて著者いわく
生を支える基盤になっている。これが本当の私であるはずだという偽の自己イメージ。本当はまだそういう人間にはなっていないという矛盾に目を閉ざしたまま自己肯定したり無理やり正当化しその結果として自分の中に存在している自己変容の可能性を根こそぎ摘み取ったり、自分の力で立ち上がろうとする他者を暴力的に自分の位置に引きずりおろそうとしたりする。他者との比較や評価に依存する。これは自己解体すべきで見たくないものを突き付けられたくないがゆえに自己防衛しようとしている。
例えば、
⑴ 表層アイデンティティ:わたしってほんとドジなんですよね。
⇒⑵深層アイデンティティ: 本当は賢いし人より優れているはずだ!
この、⑵ 人より優れているはずだというイメージと現実とのギャップに悩む、ということ。ギャップを暴かれそうになると自己防衛に走る。
そして
⑶私が私であるための中心軸・・・自分の人生を深く肯定できるところのその1点。死ぬときに悔いなく生きたと思えるところ。
中心軸について著者いわく
何度も見失いそうになったけど最後にはそこに戻ってきた。それを生き抜いた。だから自分の人生に悔いはないと言い切れるような一点。死ぬときに私はこれだけはやり通したぞと自分に向かって肯定できること、それを肯定できるがゆえに全てを失っても後悔しないと言えるようなその一点。
これは(1)(2)と違って、他者の評価に依存しないところがポイント。
わたしはいまこの中心軸を模索しています。
そのために必要なこととは?
深層アイデンティティの解体
自分自身のことは見たいようにしか見ない。自分で自分を掘り下げても「克服すべき自己像」しか見えない。本当に解体できるのは(深層アイデンティティがあぶり出されるのは)わたしを憎む相手やわたしを愛するがゆえに私の立っている枠組みを本気で壊しにくる他者があらわれた時。その時に自分の立ち位置を考え始める。
できるだけ会いたくないと思ってしまったけど(笑)、人間関係に悩むときはチャンス!ってこと。
どうやったら出会えるのか、そのためにはまず自分がいまここから悔いのない人生を生ききるのだ!という覚悟をすることが必要。実際にそのように生き始め自分を問い直し自分が本当はどのように生きたかったのか少年青年時代の思いを再び甦らせて自分の中心軸を再発見する。その生き方を世界へと発信していく。そして出会いを心の底から求める。所有ではなく他者を求めると出会いは自ずとやってくる。
と、著者はこのように書いています。
なんだかこの本を読んだあと既視感があって(この手の本が好きというのもあるが)ずいぶん前に読んだ吉本ばななさんのこちらの本を再読するキッカケにもなりました。
こちらを再読すると、あれ、これは読みやすく無痛文明論と根底では同じことが書いてあったぞ、と思ったので、無痛文明論を読むお時間のないかたで興味あれば是非こちら読んでみてください。
自分のことを深く知るということがとっても大事ということが分かります。
わたしが人生をとおして勉強しようとしているヨガの哲学にも通じるところがあって、結局はマインドフルネス(瞑想)の大切さに行きつくのでした。