増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上)(下)』(新潮文庫)

1000頁を超える超・超・超大作を、柔道・プロレスの知識も興味もまったく無いわたしが手にとったのは「これを読み終えたなんて、凄い!」と誰かに言って欲しかったからだ。読書に筋肉はいらないけれど、本書は常に頭の中で筋トレをしているような気分だった。読み終わるまでに2週間かかった。

本書は柔道家・木村政彦の評伝である。木村政彦は戦前から戦後にかけて活躍した人類最強の柔道家であり、上巻から下巻の中盤にかけてとにかく「木村政彦はどれだけ強かったか」について徹底的に語られている。学生時代の想像もできないほどの過酷なトレーニングに、木村政彦は人間を超えてほぼゴリラになっていたということをなんとなく理解した。

あざと過ぎる理由で読み始めたものだから、上巻を読み終わって正直げんなりしていた(笑)が、力道山が出てくるあたり(下巻の途中までほとんど出てこない!)から面白くなってきた。そこからタイトル「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の本質に迫る。

本書は動画を見ながら読み進めるとわかりやすい。上巻のプロローグを読んだ後に、木村政彦vs力道山の巌流島決戦(プロレス)をYouTubeで見た。

YouTube「木村政彦vs力道山」
http://youtu.be/h4vXRDAvFVg

力道山にめちゃめちゃに殴られる木村政彦を最後まで見ていられなかった。強くなること・勝つことにこだわり続けた木村政彦は、したたかな力道山に利用されてしまい、完敗した。この試合の後、力道山はスーパースターとなり、木村政彦の名前は次第に忘れられていく…。
上巻で木村政彦の強さを徹底的に見せられた読者は誰でも、力道山憎し!木村政彦頑張れ!という気分になりながら読んでいただろう。写真もたくさん掲載されていて、なかなかかっこいい(師匠の牛島辰熊もダンディ)。木村政彦の魅力に惹かれないわけがない。
著者は決戦後の木村政彦擁護のために本書を書き始めたという。ただし「評伝」の枠を超えないように、裏取りも徹底している。裏取りの徹底さにも圧倒される(あまり興味はないので読み飛ばし気味だった)。著者は徹底した裏取りのもとに木村政彦の強さを証明することで、木村政彦は「敗北」していないんだ!と結論付けようとした。しかし、苦しみもがきながら出した著者の結論は「敗北」だった。

巌流島決戦後の木村政彦は「敗北」を受け入れられず、でも「敗北」を受け入れて生き続けなければいけないという最悪のジレンマに襲われ続ける。ほぼゴリラになろうとする程の練習量に裏打ちされた強さは簡単に衰えるものではなく、苦しみながら生計を立てるために拓殖大学の柔道部顧問をつとめ次世代の人材育成に集中した。

木村政彦は自分に厳しくあり続けた強い男だったが、柔道以外に関しては「いい人」で不器用な人間だった。力道山は目標達成のためには簡単に恩人を裏切るしたたかな人間だった。後半になればなるほど力道山憎し!の気持ちが高まるが、力道山はヤクザに刺されて39歳で急逝してしまう。リベンジのやり場を失った木村政彦の心情描写はさらに悲壮感に溢れたものとなる。

最終部はひっそりとしたものだったが、木村政彦の最期に泣いた。強くあること以外に興味を持たなかった男の悲劇だが、牛島辰熊との師弟愛、弟子岩釣兼生の木村への想いに心打たれた。

本書においてプロレスはフィクションが多分に含まれているものだということを初めて知った。ただ強さを見せるだけではなく、観客を魅了させなければいけない…。ある意味で心理戦のような競技に木村政彦は敗れてしまったのだ。

柔道とプロレスへの興味は最後まで湧かなかった(だって痛そうなんだもん…)が、勝負とはどういうことか、さらに「負ける」ということはどういうことか、闘うということについて深く考えさせられた一冊だった。頭の筋トレをしたい人、なにか勝負事を控えている人、柔道・プロレスが好きな人にお勧めしたい。

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