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「饗宴」の最後になぜ酔っぱらいが乱入してきたのか?
#饗宴 #哲学 #プラトン #ソクラテス #古典 #読書 #川柳 #だじゃれ
——— 『饗宴』の終盤に、アルキビアデスという人物が登場します。彼は酔った状態で、それまで哲学的な対話を交わしていた人々の集まりに突然乱入します。そこでアルキビアデスは、ソクラテスに対して賛美と批判が入り混じった、矛盾に満ちた感情を吐露します。
この矛盾した言動の背景には、アルキビアデスのソクラテスや哲学に対する根本的な誤解があったと考えられます。例えば、アルキビアデスは、ソクラテスが本当は膨大な知恵を持ちながら、それを隠して「無知」を装っていると誤解していました。そして、自分の肉体的な美しさを提供すれば、ソクラテスの秘めた知恵と交換できると考えていたのです。また、一緒に食事をしたり行動を共にしたりすることで、物質的な関係性を通じて知恵を得られると思い込んでいました。
しかし実際のソクラテスは、そうした肉体的な美や物質的な価値には全く関心を示さず、むしろ理性や知性に基づく内面的な美こそを重視していました。アルキビアデスは美について完全な誤解をしていたのですが、過去のソクラテスとの関わりを語ることを通じて、自分がいかに本質的な美しさから外れた生き方をしていたかを認識するに至ります。
一見すると、この場面はただの失恋した男の逆恨みや、酔っ払いの絡みのようにも見えるかもしれません。しかし実際には、肉体的・物質的な価値を超えた、知性や理性に基づく真の美しさの本質が、アルキビアデスとソクラテスの関係性を通じて浮かび上がってくるのです。
変わった酔っ払いがソクラテスに絡むという一見奇妙な場面設定は、かえってソクラテスの真価を際立たせる効果があります。そこには、ソクラテスが追求していた本質的な美しさについて、読者が深く考えることができるような仕掛けが隠されているのだと考えられます。
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