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どんな時に考え、どんな時に考えない方がいいのか?

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———「人間は考える葦である」というパスカルの言葉は、私たちの本質を言い表した格言として知られています。私も、考えることは人間にとって非常に重要な営みだと考えています。

哲学とは、まさに「考える」という行為を通して、深い洞察から普遍的な原理を見出そうとする学問です。この営みによって、異なる価値観や信念を持つ人々が共通の理解を得て、共生への道筋を見出すことができると信じています。

しかし近年、「考えないこと」の重要性も指摘されています。例えば、東浩紀氏は「平和について」という論考で、平和の本質は「考えないこと」にあると主張しています。過去の不幸な歴史は変えることができないため、それについて考え続けるのではなく、あえて考えないことで、未来志向の姿勢を保てるというのです。

一方で、「考えないこと」が人類の愚かな行為を引き起こしてきたという事実も否定できません。東氏自身も、「考えないこと」にはこうした矛盾や危険性が存在することを指摘しています。ただし、この「考えないこと」の持つ二面性についての明確な答えは、東氏もまだ提示していません。また、仏教の禅の世界では、「無心」になることで、「今、ここ」に存在することの意味を見出そうとしています。

このように、「考えること」と「考えないこと」は、単純な二者択一の問題ではありません。重要なのは、どのような状況で考えることが必要で、どのような場合に考えないことが有効かを見極める条件解明の姿勢です。

シャーマ博士が提唱するU理論によれば、「考えること」は過去の経験や知識を適用することであり、新しい問題に直面した際には、むしろ思考を一旦停止し、現象をただ観察することで、新たな解決策が見出せることがあるといいます。

実際、ニュートンがリンゴの落下を目にした時も、アルキメデスが浴槽で「ユーレカ」と叫んだ時も、彼らは問題解決に向けた意識的な思考を一旦停止し、目の前の現象をただ観察する状態にあったと言われています。その「考えない」瞬間に、万有引力の法則や浮力の原理という画期的な発見につながる直感的な気づきを得ることができたのです。

つまり、「考えること」と「考えないこと」は対立するものではなく、相互に補完し合う関係にあるのです。過去を学び、未来を構想する際には論理的思考が不可欠ですが、行き詰まった時には思考を一旦停止し、目の前の現象を観察することで、新たな展望が開けることがあります。

このバランスをどのように取るべきか、皆さまはどのようにお考えでしょうか。

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