私たちはただ、淡々と教育をする。
こんばんは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。一週間が終わりました。暑い日が続いていますね。
今日は、社会で悲しいことや、困難なことがあったとき、私たち教員にできることについて話したいと思います。
学校教育は民主主義のためにある
世界や社会におけるさまざまな悲しいニュースを見て、気持ちが滅入りそうになることがあります。そこにあるのは、無力感です。
教員は絶大な権力があるわけでも、直接命を救うことのできる特殊な能力があるわけでもありません。私たち教員は、ただ教員なだけです。
そんな時、
という原点に立ち返らなくてはいけません。
教員になってから13年間。東日本大震災、新型コロナウイルス感染症、ウクライナでの戦争。何度となく自分の中に問い続けてきました。
教育基本法を見てみましょう。
そうなのです。私たち教員は自然災害や戦争を止めることはできません。けが人や病人を治すこともできません。
それでも、私たち教員にできること。それは教育を通じて民主的で文化的な世界を作り上げることなのです。
学校教育は子どもの”今”のためにある
でも、民主的で文化的な社会なんて、遠い目標過ぎて検討もつきません。
教員は何をすれば良いのでしょう。
私は、福島県で教員を始めました。そして、その年に東日本大震災が起きました。校舎が壊れ、子どもたちが学校に来られない日が続きました。
教務主任は家に帰る暇を惜しんで、学校の近くに住んでいた私の家に泊まって出勤をしました。
夜、仮設校舎の設計図を書きながら、教務主任が私に言いました。
子どもの”今を満たす”こと、今の私の教育活動で目指している究極のテーマです。
放課後、ふと考えることがあります。
私たちはただ、淡々と教育をする
2022年7月8日、とても悲しい事件が起きました。
多くのコメンテーターや政治家が
と非難しました。私も、強く憤りを感じています。悲しいです。
と、教員は直接伝えたり、教科教育の中で伝えたり、友達との対話の中で伝え合わせたりしながら、丁寧に積み重ねてきたつもりです。その、ささやかな積み重ねが、いつか平和な世の中を作ると信じてきたからです。
今回の事件は、その積み重ねを崩されたような感覚になります。だから悲しいし、苦しいのです。
では、これから、私たち教員は何をすれば良いのでしょうか。
きっと、何も変わらないでしょう。
私たちはただ、淡々と教育をする。子どもたちの”今”を満たしていく。
その営みの力強さを信じて積み重ねていくしかないのでしょう。
では、またね~。