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更新100日目 ”教師のバトン”を次の世代に
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
たくさんの方に支えられて、本日で100回目の更新となります。
今回は、私がずっと大切にしてきた”教師のバトン”という隠れたテーマをお伝えしたいと思います。
”#教師のバトン”とは
#教師のバトン
というハッシュタグが少し前に話題になりました。
#教師のバトン (きょうしのバトン)は、文部科学省(文科省)によって2021年3月26日に開始された、Twitterなど、ソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用したプロジェクト、もしくはプロジェクトで用いられたハッシュタグ。 プロジェクトは教員が若年層に仕事の魅力を伝えることで、教員志望者の増加を目的としている。
という、文科省主導のプロジェクトでした。
しかし、このプロジェクトは、過酷な労働条件の教育現場から悲鳴にも似た”真実を伝える声”が挙げられ、皮肉にも文科省の予想した意図と反対のものとなってしまいました。
残業代いらないから仕事終わらせてから帰らせてほしい。
— こいぬ。@政治も職場も地獄 (@labyrinth0831) April 7, 2022
強制退勤時間をバカみたいに早めるならまず仕事減らせよ。
#教師のバトン
#教師のバトンで検索すると 、このようなTweetがたくさん見つかります。
私はこのような声をあげることはとても大切だと思います。
若手教員が現場を知り、選択すること。
現場の声を知り、変えていくこと。
これらの観点から、私は”#教師のバトン”の用いられ方を興味深く見ています。教員の労働条件についての問題は、早急に解決すべき問題の一つです。
一方で、
私が受け取ってきた教師のバトンは少し違う気がする
という違和感をもっていました。
私が受け取ってきた先輩たちからのバトン
私はそこまで教員になりたかったわけではありませんでした。
何と言っても、ストレッチマンの悪役になりたくてこの世界に入ってきたような人間です。
それでも、この世界で今も生きているのは、多くの先輩たちからバトンを受け取ってきたからです。
目の前の子どもが、今日一日を楽しく過ごす。そのことを積み重ねていくことが未来を作るんだよ。
と教えてくれた教員がいました。
その方は、月日が経つごとにできることの少なくなっていく、進行性の病気を抱えたお子さんを担当していました。でも、本当にその子は明るい顔で、その教員の授業を受けていました。
どんな子どもでも、思いがある。そこを教員が汲み取れないのだとしたら、子どもと教員、どちらに障害があると言えるのだろう。
と熱く語ってくれた先輩もいました。
その先輩は、脈拍や尿の量で子どもの思いをくみ取ろうとしていました。
当時の私は、それをうまく次に回すなんてことはできませんでした。
自分のことで精いっぱいだったからです。
今、ようやく振り返り、あれこそが先輩たちからの”#教師のバトン”だったのだと感じ、次に伝えなくてはいけないと思っているのです。
私が勝手に受け取ったバトン
もう一つ、私が受け取ったバトンがあります。それも勝手にです。
私の父からだったでしょうか。こんな話を聞いたのです。
小学生低学年のころ。すごく好きだった担任の先生がいた。絵本を隠して持ってきて、「あ!持ってきちゃった!」と言って読んでくれた。当時の自分は「本当にバカな先生だなぁ。」と思いながらも、すごく好きで学校に行くのが楽しかった。その先生は若くして亡くなってしまったけれど。
私はこの先生と会ったことがありません。それでもこの先生が好きになりました。きっとこの先生は、教育が好きだったのだろう。そして、目の前の子どもたちを喜ばせたかったに違いない。同じ教育者という立場が、その先生の考え方に共鳴したのです。
実は、私は今でも、低学年の子どもを受け持った時は絵本を隠して持っていきます。そして「あ!持ってきちゃった!」と言います。子どもたちは大喜びで私のへたくそな読み聞かせを聞いてくれます。
私は勝手に#教師のバトンを引き継いでしまったのです。
#教師のバトンは見えないほどさりげない
ある人は、子どもに触れるときの手の向きに気を付けていました。
ある人は、板書をするときの体の向きで子どもの反応が変わることを意識していました。
ある人は、スイッチ教材を作り、子どもの表現を高めようとしていました。
またある人は、「美術を教える時には教員の介入があってはならない」と、子どもだけでできる表現の工夫をしていました。
でも、それらを知る人はあまりいません。
教員の日常実践というものは、驚くほど地味で、見えないほどさりげないものです。
吹けば消えるし、吹かなくても消えます。
これらの素敵な実戦たちは、目に触れることもなく、ごく自然に消えていくのです。
私は、先輩たちがつなげてきた”#教師のバトン”を次の世代につなげたいと思い、noteを綴ってきました。
100回を超え、まだまだ伝えたいことばかりです。
ぜひ、これからもよろしくお願いいたします。
では、またね~!