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寺の静寂を独り占め -私の贅沢-
私は寺巡りが好きだ。
京都に住んでいたころは空気のようにあたりまえの存在だった神社仏閣。
今では心の拠り所になっている。
頭をクールダウンさせたい時、イライラしている時、悲しいことがあった時、落ち込んだ時は、時間を見つけてお寺に足を運ぶ。
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人が少ない時期を選び、静かにゆっくり過ごせる庭園を目の前に縁側に座り込む。
目を閉じると、静寂の合間に風に木々がなびく音、鳥のさえずりや虫の音が聞こえてくる。時折ギシギシと、先を急ぐ観光客の足音が背後をよぎる。
心なしか浅かった呼吸が深くなっていき、体がリラックスする。木造建築や緑の香りが心地よい。雨の匂いも好きだ。
普段から情報漬けの頭が空っぽになっていく。
若い頃、旅行というとできるだけ多くの観光スポットを回りたいと、スケジュールをぎゅうぎゅうに詰めていた。見どころでパチパチ写真を撮り、楽しかったねーと友人たちとはしゃいだものだ。
ところが、急いで回った寺々を後で思い出そうとしてもあまり記憶に残っておらず、どれも同じような印象しか残らなかった。
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お寺はそれぞれ毎日掃き清められ、守る人々の多大な苦労で維持されている。
そんな境内を五感で楽しまないなんてもったいない。
いつしか、私はお寺で気に入った景色を見つけてはのんびり眺め過ごすようになった。
旅行先で廻るのはせいぜい1日2‐3か所。写真を撮ったらカメラを置き、自分の目・耳・鼻・肌でじっくり境内や庭園を味わう。
桜に紅葉、花で有名な寺院は、オフシーズンでも美しい。
一人ぼっちで眺める庭園。何だか得した気分になる。
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普段は東京で働く私。
東京は狭い敷地に鉄筋の寺が建っていることが多く、都会の雰囲気が色濃く残りなかなかくつろげない。
そんな東京で、都会の喧騒から離れたい時に行く寺が世田谷区にある。
九品仏(くほんぶつ)の名で親しまれている浄真寺だ。
広々とした境内に、木造建築が点在する。
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浄真寺は本堂に入ることができ、ご本尊を見上げながら静かな時間を過ごすことができる。
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本堂に向かい合うようにしてお堂が3つ。上品堂、中品堂、下品堂と呼ばれ、それぞれに3躯(品)の阿弥陀如来像が納まっている。境内には合計9品の阿弥陀如来像。九品仏と呼ばれるゆえんだ。
境内の雰囲気は京都や鎌倉の寺院に似ておごそか。気軽に立ち寄れる距離にあるのがありがたい。
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丁寧に手入れされた寺院は、いつでも凛とした佇まいで私たちを迎えてくれる。
これからも、贅沢な景色を静かに楽しめる寺を探しにあちこち訪れようと思う。