「自分とか、ないから。」を読んだ。
久しぶりに本を読んだ。
たまたまSNSで目に入って、そのままAmazonで購入。
タイトルからしておもろそう。
読み始めても堅苦しくなく読みやすく。
あっという間に読み終えてしまった。
いつの時代も悩みは止まらない。
この本を読んでいてどの時代の人も悩みを抱えているんだなと改めて感じた。
その悩みを解決するためにたくさん思考を張り巡らせて人たちが悟りを開いていた。
現代は便利になったことが多いのに悩む人もまだ多いと思っていたが、それはSNSでの発信のしやすさなどの効果もあって顕在化しやすくなっているだけではないのかと感じた。
悩みの本質は今も昔も変わらない。
結局、人との関わりこの部分で悩むんだ。
自分探し
うまくいかないとき、「自分探しの旅に出ます」というのはよく聞くフレーズで僕も自分を見つめなおしたりと自分の存在意義や何者なのかを考える時間を作る時があった。
ただその時間を作っても僕は何かしら腹落ちして解決したことはほとんどない。
どちらかといえばその時間を作って考えたその事実に満足して終わるないしは妥協することが多い。
そして、この本を読んで改めて自分探しは特にする必要のないものだと感じた。
自分なんてないのだから。
言葉は幻。
この本を読んで一番共感したかつ、なるほどと思った点は「言葉は幻」というワードだった。
社会人になってからずっと感じていたことがある。
それは形容詞は比較を前提にされているということ。
可愛い、カッコいい。
優しい、いじわるい。
速い、遅い。
良い、悪い。
上手い、下手。
これって相対的なものでしかないし、比較の対象が変われば言葉も変わってくる。
名詞をわかりやすくするためなんだから、そりゃそうだろって感じ。
だけど、自己分析をするときもこの形容詞を使うことが多かった。自分を言語化する上で絶対的なものが少なく、相対でしか自分が何者なのか言語化できないことにモヤっとしていた。
そしてこの本を読んでいて同じような内容にぶつかりハッとさせられた。
形容詞だけじゃなくて、名詞もそうじゃんって。
人間関係に関する名詞はほとんど比較が前提になっているなと。
極論、自分の名前だって他者との比較前提であるものではないだろうか。
名前という違いを作って判断しやすくする。
ってことはやはり自分が何者か言語化するのって無理じゃねって思ったし、
別にできていなくても何も悪いことではなくてそこに対して悩みを抱く必要もないんじゃねって感じた。
マインドセット
この本を読んで良い意味でマインドセットがすべてなのではと感じた。
社会的に見て良くないと勝手に自分が感じているだけで人に迷惑をかけない範囲でいる分には何をしたっていいと思う。
人は単純なので、俺ってダメだって思ってしまうとやはりそっちに流れてしまう。
たとえ過酷な状況下にいたとしても、俺って最強と思い続けていれば自然と好転していくものだ。
いかに良いマインドセットを地獄と思える状況下でやっていくのかが難しい部分ではあるが、それがまさに禅などの方法で少しでもそれが実現できるようになっていければ良いのではと。