『鎌倉殿の13人』からの非常に分かりやすい読書の流れ
この写真をアップしたところで、パソコンがほぼ動かなくなり、完全に編集作業がストップ。そうこうするうちに『鎌倉殿の13人』最終回の日になってしまいました。
なんかもう、朝から落ち着かない。
何なら自分が鎌倉へ行って、素人ながら一戦交えたい。ヤー‼
というわけですでに心ここにあらずの状態ですが、今年の読書のうち、鎌倉殿関連のまとめをやりたいと思います。
マンガ『吾妻鏡』は相当悩んだ
ドラマ『鎌倉殿の13人』のファンなら、『吾妻鏡』にも興味を持つのは必然の流れ。
私もぜひ読んでみたいと思ったものの、原典はあれだし、現代語訳もなんですしねえ・・・と思っていたらマンガがあるではないか!
そこで飛びつこうかと思ったのですが、著者を知って足が(手が?)止まりました。
私はもう、30年以上に渡る萩尾望都ファンなのです。で、『一度きりの大泉の話』もバッチリ読んでおりまして。
人間が下司なもので、あの・・・あちらの先生にお金を落とすというのがちょっとね・・・というかかなりね・・・抵抗がありまして。
簡単にいいますと、えー、萩尾先生とマンガ『吾妻鏡』の著者との間には若いときにトラブルがありまして、それは今も萩尾先生の中にトゲとして残っている、とこういうわけなのです。
散々ためらったあげく、ドラマでは頼朝が亡くなったころだと思いますが、これはもう、「もう、この先を知らずにいることに耐えられない!」と思って読み出したのでした。
読んでみると、登場人物の描写などはドラマとだいぶ重なるところがあり(原作が同じだから当たり前なんですが)、「へー」と思わされることしきり。
『吾妻鏡』は北条サイドから書かれた話だと聞いていましたが、それでも義時などは(賢いけど)そんなにいい人物には描かれていないですね。面白い。
ともあれ、『吾妻鏡』の全体像を把握できてよかったです。
それにしてもいよいよ今夜、承久の乱だー。
いや、800年前だけど。どうなるんだろう。ドキドキが止まらないです。
太宰はもてるよ
かくして、マンガ『吾妻鏡』の後書きを読んでおりましたら、かの先生が『吾妻鏡』に興味を持つきっかけになったのが、太宰の「右大臣実朝」だったらしい。
というわけで、いざ実朝。
新潮文庫で『惜別』に併録されていることを突き止め早速読んでみることに。
「右大臣実朝」は、実朝に仕えていた若き家臣の一人称、ひとり語りというスタイル。この家臣にはモデルはいるのかもしれないけれど、架空の人物のようです。
実朝の10歳ほど年下かな。
語り手は実朝のことを崇拝していて、実朝は聖人というか超人というか、予知能力のある人知を超えた人物として描かれています。
それに対して、生真面目でさっぱりしているのだけれど、義時や政子ら、北条家の人々はどこか・・・「下品」だったと。
私はドラマに惚れ込んでいるので、義時も政子にもかなり感情移入していますが(義時は和田合戦あたりでちょっといやになったけど)、この「下品」というのがね、なんだかわかる気がしました。
いわゆる「上品」「下品」という価値観での「下品」ではなくて。
今この世にないもの、これまでとは違うものを作ろうとしたら、「下品」にならざるを得ないのではないか。
世の中の仕組みや常識をひっくり返していこうとしたら、型破りにも掟破りにもなるし、それはある人々の目からみたら「下品」と映るのではないかと。
ある目的のために、仲間も身内も、場合によっては親も兄弟も蹴り落とし、切り捨てていく。そういう生き方。
なんか、インターネットが出てきたころのビジネス界を思い出してしまいました。
メディアには、なんとなくですが「はいはい、また子どもだましが出てきましたね、どうなるんでちゅかね~~」という雰囲気があったような気がする。
・・・っていくつなのか、私は。
ともあれ、ひとり語りということもあってか、読み始めるともうすーっと引き込まれ、「ああ、太宰は私のためにこの小説を書いておいてくれたんだなあ」と本気で思い始めるから、太宰という人はたいしたものだ。こりゃもてるだろう。
作家vs 読者は一対マスですが、読んでいる間は、一対一の関係だと思うんですよ。
その関係の中で、「そうそう、私もそう思っていたの!」という気持ちを、読者にどれだけ持たせることができるかだなと思います。
共犯関係であり恋愛関係。
後半の公暁の独白なんかは太宰節全開という感じだが、私はこれを先に読んでいたので、ドラマでみたとき、公暁の演技を一層味わい深く感じました。
「私というものがいることを知らしめたかった」
どんな生まれの人にでも、この気持ちはあると思う。
私という人間が生きていたことを、誰かに覚えておいてほしい。
もし、実在の公暁がそう思っていたとしたら、800年たって、あなたの気持ちは報われたよと言ってあげたい。
実際、私なんかはこの年になるまで、公暁のことを、「銀杏の陰に隠れてて実朝を殺した人」としか思ってなかったものね。ごめん。
「右大臣実朝」では、たんたんと続く『吾妻鏡』原典からの引用もすてき。
由比ヶ浜をまた歩いてみたくなりました。
併録(というかこっちがタイトル)の「惜別」もグッド。魯迅のはなしです。未読の方はぜひ。
萩尾先生への義理は欠かせない
というわけで読書を楽しんだものの、かの先生の本を読んだら、萩尾先生の本を読まないわけにいかない。
そこで思い出したのが『あぶない丘の家』です。
この中に、「あぶない壇ノ浦」という、頼朝と義経を取り上げた話が収録されているのですね。
大ファンとかいってるくせに、読んだことがなかった。
頼朝と義経がなぜ通じ合えなかったのか、自分としては大変納得がいきました。
頼朝と義経は確かに兄弟で、同じ父を持っているのだけれど、それぞれ別々の父を見ていたのではないか、ということ。
頼朝は、平治の乱に参加しているのですね。13歳で。
今でいう中1くらいかな。子どもですよね、まだほんとに。
兄たちを亡くし、雪の中を、ボロボロになって敗走した。
寒かっただろう。怖かっただろう。
そのとき一緒にいてくれた父。
父の息子は、源氏の嫡流は、この自分だけだ、という気持ちになったのかもしれない。
義経はこのときかぞえ2歳だったはず。
成長してから、「あなたは源氏の生まれなのですよ、平家はお父様の敵なのですよ」と聞かされて「うむ」と思ったのだろうけれど、それは概念としての父みたいなものではないか。
具体的な人物ではなくて、郷愁みたいなもの。
どちらが正しいわけでも、優れているわけでもない。それぞれの父。それぞれの勝利。
目指すところが別々だったのだから、勝利したあと、うまく心が通い合わなくても無理もないよな・・・と、そんなことを思いました。
まとめ
ああ、そうこうするうちに昼になろうとしている。
私は身だしなみを整えて『鎌倉殿の13人』最終回を見るため、これからヘナで髪を染めてきます。
ではみなさまも、ご武運を!