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私も落語に連れてって!

敬愛する田中泰延さんが立ち上げた、「ひろのぶと株式会社」から、三冊目の本が出ました。

著者は、立川流の立川談笑師匠。

「軽妙」とは、こういうことかと思う「軽妙」のお手本のような文体で書かれた、落語の入門書です。
「現代落語論」という、むつかしげなタイトルに腰が引けていた私のような"落語素人"でも、師匠の語り口に引き込まれ、最後まで一気に読めてしまいました。
面白くて、ためになるとはこのことですね。

師匠は本作で、落語の歴史から紐解かれ、「古典に手をくわえず、そのまま演じるのがよし」とされていた、少し前の落語界の事情に至るまで、懇切丁寧に説明してくださいます。
この部分、おおいに納得させていただきました。
なぜ、名人芸と言われる骨董のような落語が通に好まれるのか、あれを好きにならなきゃいけないなら、私は、一生落語を好きになることはないだろうと思っていたのです。

思い返せば、私と落語の出会いは、40年前、高校2年の文化祭にさかのぼります。
全校生徒で落語を観賞しようという企画があり、体育館に生徒1350人が集められました。

あからさまに、がっかりしていた私たち。
伝統芸能から程遠い生活を送っている片田舎の高校生、落語を生で聞いたことなんて一度もないくせに、
「よりによって、落語かよ」
「絶対、笑えない自信があるけど、せっかく来てくれるんだから、笑ってあげないと悪いよなあ」
と、全員の顔に書いてありました。

そんなアウェイな場に、ワッペンをべたべた貼り付けた、派手な着物で登場されたのが、当時の三遊亭円丈師匠。
「子どもが生まれて、いい名前を付けてもらおうと、和尚さんを訪ねる」というくだりで、全員が『ああ、寿限無か』とげんなりしていました。
それ、知ってるし。

ところが、そこからの円丈師匠がすごかった。
「てなわけでひとつ、ありがてえ名前を付けていただきたいんで」
「じゃあな、DNAってのはどうだい?」
「DNA?なんですかいそれは?」
「DNAてえのは、デオキシリボ核酸といってな、二重らせんの生命の設計図、これが無いと、どんな生き物も子孫を残せないという、ありがたい代物だ」
お話はうろ覚えなので、適当に創作していますが、こんな感じでした。

そのウケたことウケたこと。
会場は大爆笑で、誇張ではなく、体育館が揺れていました。
円丈師匠は、新作落語の旗手であり、若手のホープだったことは、ずいぶんあとから知りました。

おそらく、あの時、円丈師匠は、

 ①私の母校では、当時生物Ⅰが必修であったこと
 ②文系理系関係なく、全員がDNAについて知っていること

を事前に調べて、演目を決められたのだと思います。
「令和の現代落語論」を読み、高座に上がる落語家さんたちが、いかにお客さんを見ているかというくだりを知って、なるほど、と思いました。
談笑師匠がおっしゃる「落語はクロストーク」というのは、ああいうことでもあるのでしょう。

私は、円丈師匠の「寿限無改めDNA」を拝見して、落語って面白い!と素直に思いました。
ところが、テレビで見る落語は一向に面白いと思えないし、図書館で聞く名人の音源も、聞いているうちに、いつしか眠ってしまうありさま。
どういうことだろう、落語って、面白いんじゃなかったっけ?円丈師匠だけが特別なの?とずっと不思議だったのです。

この本には、その答えがありました。
当時の状況がどうだったのか、新作落語の立ち位置はどうだったのか。
なるほどです。
そして、そういうことなら、私にも、もっと落語が楽しめるんじゃないだろうかと思いました。

昨日から、愛媛の住人になった私、ますます東京大阪の寄席からは遠くなります。
でも、生の落語を見てみたい、もう一度、落語で大笑いしたい。
師匠の本を読んで、心からそう思いました。
師匠の手によって、新しい命を吹き込まれた新作落語を見てみたい。
令和の現代に、漫才でもコントでもなく、落語を選んだ噺家さんたちの芸を間近で体験したい。

どうか、近隣のみなさま、落語会が開催されるという情報があれば、お知らせください。
「私も、落語に連れてって」

そして、お笑い好きな皆様は、こちらの「令和の現代落語論」買って読んで、損することはひとつもありません。
知的好奇心も大いに満足できる、面白い本です。
ご購入はこちらからどうぞ。

**連続投稿636日目**

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