医学探偵の歴史事件簿/小長谷正明
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読了日2019/11/21
私は今しか生きたことがないので、
過去に存在したいわゆる歴史上の人物の存在というのが本当にいたのか疑わしく思うことがある。
いかにその人物が偉大であるかを強調するエピソードというのがそれに拍車をかける。
たった一人で多くの軍勢を率いて味方を救ったとか、
敵方に比べたら圧倒的不利な数で打ち負かしたとか、
「本当かな?」という首をかしげたくなる話となると、
偉大さよりも存在を疑ってしまう。
人間味がないってことなのかな。
じゃあ人間味ってなんだ。
確実にこの世に存在したであろう証拠ってなんだ。
肉体はやがて朽ち果てて、
人々の記憶からも失われはじめて、
書物の中だけの存在となったとき、
その人物が存在していたと示すエピソードってなんだ。
やがて朽ち果てていくであろう肉体が、
怪我や病気によって傷つけられた話というのは、
存在を示すエピソードとしては強いような気がする。
人がこの世に存在するかどうか決めるのは魂とか心といったスピリチュアルな話じゃなくて、
ただこの世に存在したという証拠だけを述べるなら肉体があったという一点のみでも十分だと思う。
そういうわけで歴史上の人物に対して、
「この人物は本当に存在したのだろうか?」
という懐疑的な私に、
「多分いたよ! この人ってこういう病気だった奉っぽいよ! 病気になれるってこの世にいた証だよ!」
とわかりやすく教えてくれるのが本書である。
控えめにいってもおもしろかったし、
著者の身内すごい……。
1章目にアメリカ歴代最年少大統領ケネディのエピソードがある。
当然のごとく(威張れないのだけど)私はあまり知らない。
知っている話といえば彼が就任式がパレードをしている最中に狙撃を受けて、
飛び散った脳漿を妻がかき集めたとかいう事実かどうかすら不明な話しか知らない。
それはいいとして。
「健全な心に健全な肉体が宿る(適当な訳)」
というのかの有名な言葉が彼のエピソードの最後に出てくる。
古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉である。
詩人の言葉である。
詩人だったのかと、私は驚いた。
よくスポーツをすると健康な肉体を手に入れられて立派になるみたいに熱血体育系教師とか元スポーツマンが言っているみたいだけど、
大元はこの言葉から来ているんだろう。
でもさ。
言ってるのって詩人だから。
古代ローマの詩人であって、
古代ローマの医学者とかスポーツ選手とかじゃないわけ。
詩なんだよ。
だからこの言葉に根拠とかないんだよ。
詩なんだよ。
それがなんだ?
運動をしろだのスポーツをやれだの、
やれば健全な心を?精神を?手に入れられる?
詩を根拠に熱弁を奮うって何なの。
雪が白いっていう目に見える事実以下の不的確な言葉だよ。
だいたい健全な心が宿るならなんで元スポーツマンが薬物だの詐欺だのに走るんだよ。
とまあ、
スポーツも運動も嫌いな私は思うのだ。
なぜか背が高く生まれついてしまった私はよく、
「なんのスポーツやってたの?」
と聞かれるけれど、
世の中でもっとも嫌いな質問の部類に入る。
スポーツをやれば背が伸びると思っているのなら、
「背が高いのうらやましい〜」
と言う前になんかやればよかったじゃん?と思わずにはいられないのである。
遺伝でもないんだけどな。
ケネディ大統領は肉体的には恵まれていなかった。
腰椎の調子があまり良くなく手術を繰り返し、
甲状腺機能も良くなくてホルモン療法を行っていた。
肉体的にはけっこうしんどかったようである。
けれど彼は愛する祖国のために身も心も尽くす覚悟で大統領選に挑み、
見事最年少大統領となった。
健全な心に健全な肉体が宿るならその逆もまた然りなはずであるのに、
そうではないスポーツマンも多くいる。
一方ケネディ大統領は多くの国民に希望を与えたという意味では、
健全な肉体にその心を宿してもらえたはずだろう(ゴシップなどは無視することにして)。
そうはならないのが人間というものらしい。
仮にその理屈が通るなら、
私は脆弱なメンタルと虚弱な肉体という意味では、
詩人この野郎とは思いつつも事実だと受け入れざるを得ないのだけど。
2章目は近代の日本人の病。
ここでたびたび著者の身内が歴史上有名な事件に噛んでいるので、
もう単純に「すごい!」と驚いて読み進めてしまった。
終戦期の混乱の最中に身内が関わってかつ本人から直接話を聞けるだなんて、
人が死んでいる以上不謹慎極まりないのだけど、
直接話を聞けるだなんてうらやましいと率直に思ってしまう……。
濱口雄幸首相や二・二六事件など教科書で習った事件と思いがけない再会も果たした。
授業など覚えることばかりで退屈で結果的に何も覚えていないのだけど、
彼らの命を救うべく懸命に駆け回った医者がいたということを知るだけで歴史は俄然おもしろくなった。
濱口雄幸首相が輸血を受けていたとは知らなかった。
なんだよ歴史っておもしろいじゃん←
3章には有名人が多数出演してくれる。
ナイチンゲール、ギヨタン、パスツール、キュリー夫人などなど……。
ギヨタンなど知らんという私の同志(歴史忘れ組)もいるだろうが、
知っているんだ。
フランス語読みがギヨタンなだけで、
ドイツ語読みがギロチンといえばわかるだろう。
そうギヨタンとはギロチン刑のギロチンなのだ。
もはや医学関係ないだろ殺してるだろと私も思ったが、
ギロチン(ギヨタン)は狂犬病の伝染におけるキーとなる何かが狂犬病保有者の唾液にいることを突き止めたのだ。
ギロチン……苗字だったのか。
ドイツじゃ「ギロチンさん」がいるんだろうか。
あとナイチンゲールといいキュリー夫人といい、
女って走り出したら止まらない生き物だ。
私もそうなりたかった(辞世の句)
4章には非常に気分を害するルイ17世のエピソードがある。
昨今問題となることが多い子どもへの虐待だ。
ルイ17世の場合は両親からではないが、
革命的市民の模範として育てると称し、
暴言と暴力で服従させて最低な生活態度をしつけた。
彼は当時わずか8歳だった。
その後待遇はほんの少しだけ改善したが、
彼を見た医者が書き残した言葉が印象的だった。
「日常生活に戻すことはできない」
虐待を受けた子どもはもう、
他の子どものような日常生活には戻れないのだ。
戻れないどころか戻せないのだろう。
虐待児を他の子どもの和の中に戻したところで暴力の恐怖で人並みのコミュニケーションは望めず、
はからずとも今度は子ども間でのいじめの標的になるかもしれない。
10歳でこの世を去ったルイ17世だが、
天国でも生まれ変わった先でもどこでもいいから、
幸せな日々を送っていてほしいと思う。
5章目はツタンカーメンやヤマトタケルノミコトにまで話が広がる。
かと思えば女傑ジャンヌ・ダルクも取り上げられる。
彼女が聞いた天の声はもう「てんかん」説がかなり有力なのね。
一度は祖国の仲間をを救ったジャンヌ・ダルクなのに、
二度三度目で失敗したから処刑って短絡的過ぎない。
それも魔女扱いかよ。
天の声の導きに従ったと言っているのに魔女って、
異端と神がゴチャまぜじゃないか。
なんだろう。
ジャンヌ・ダルクは使い捨てに過ぎなかったの。
むしろ王あたりはジャンヌ・ダルクのそうした病的なものを見抜いていて、
利用しただけなのかな。
本来なら羊飼いの娘なんかと王さまが会うはずないのに、
そのときだけ会うっておかしいよね。
処刑が見せ物だった時代からすれば完全に現代人の感覚だけど、
かわいそうとしか言いようがない。
過去に戻れるタイムマシンはできないんだろうな。
できたとしてと過去は変えちゃいけないってよく言うし、
もしジャンヌ・ダルクの真実がわかっても救えないし、
タイムマシンはやっぱりいらないか。
いろんな学問がそれなりに発達した現代だから著せる、
こういった人々(事例)を専門家の目で見ると、
こういった根拠をもとに説明できますよ。
という話、好きだな。
今回は医学者的な見方。
そういう本、他の分野でもないかな。