「子ども用ハーネス」への違和感
近年、幼児の体に紐を括りつけ、ペットのように連れて歩く人を見るようになった。「子ども用ハーネス」というらしい。これを着けていると幼児が迷子になることもなく、急に道路に飛びだしたりすることもなく「安全」らしい。使用者からすればこれは「子どもを守る命綱」で、これを「犬みたい」などと批判するのは子育て未経験者の戯言なのだという。
確かに「安全」である事は否めないし、子供をわざわざ危険に晒す事が良いわけもない。ただそれでもハーネスへの違和感を拭えないのは、子供を「管理」しようとしているから、「管理社会」の臭いをそこに嗅ぎ取ってしまうからだ。「管理」してるのだから「安全」は当然でもある。GPS機器で子供の居場所をいつでも検知できるようにしたり、これでもかと「感染対策」をやったりするのも「安全」のためだろうが、それも徹底した「管理」である。「管理」に飼い慣らされた人間はやがてそれに違和感を感じなくなり、「管理」された方がラクだと感じるようになっていく。
幼児は道に落ちてる未知のものに何でも興味を持ち、大人からすれば触る必要もないものでも、手に取ってそれが何だか知ろうとする。赤ちゃんが何でも手にとって口に運ぼうとするのも同様だが、そのようにして実世界のリアリティを認識していく。それを後ろからぐいっ!と引っ張られれば、「安全」はあろうがその代償として何かを失うだろう。大変でも手をつないであげれば親の手の温もりが伝わる。「管理」ではなく「守られている」という感覚を伝えることができる。こういうのも戯言だろうか。
尚、ハーネス使用者の意見として「19世紀から使われてる歴史あるもの」というのがあるが、いずれもイギリスとか西洋で使われていた例で日本の歴史ではない。そもそも西洋と日本では歴史的に子供の扱われ方が真逆で、西洋は鞭で打つなど体罰で躾けていたのに対し、明治初期までの日本では基本的には言葉で諭すことで躾けていた。だからこそ当時訪日した外国人が「子供の楽園」と、本国と違い過ぎることに驚嘆したのだ。ハーネスはそういう西洋の「力の支配」の中で生まれたものでもあり、少なくとも日本の歴史、日本の子供観とは相容れない。