【書評(?)Vol.2】とりとめなく庭が
インナーナラティブデザイナーのわたしによる、読書感想文です。
わたしとことばの出会いと、わたしと本の関係性を綴っていきます。
書くことへの評価、というとおこがましいので、「書評(?)」としています。
それでは、ご紹介したいことばと本の紹介を始めます。
本との出会い
この本と出会ったのは、鳥取県若桜町で開かれたフリーマーケット「継ぐの市」でした。
友人が、古道具のような棚を譲ってもらう約束をしている、と行って、せっかくならと立ち寄らせていただいたイベントでした。
ちょうど、桜が見頃で、近くの駅にはたくさんの観光客がいました。
桜の季節は大体気持ちが前のめりになって、ピクニックやお花見がしたいねという、ほんとうの気持ちだけど実現しなさそうな言い方で友人と話していたなと思い出しました。
「継ぐの市」には、お客さん同士も仲が良さそうで。
ここはわたしたちの場所よ!でもなく、新参者、大歓迎!仲間になりましょう!なんて、雰囲気でもなく、個々がゆるやかににぎやかにつながっている、春の気候も相まってとにかく心あたたまるイベントでした。
そんな「継ぐの市」に数冊の本が置いてありました。
帯に生い立ちが書いてあり、読んでみるとなんと「鹿児島に育ち、」と書いてあるではないか。わたしは鹿児島育ちなので、一気に親近感を覚えて購入。
大阪に向かう電車の中で、一気に読んでしまいました。もったいない、読み終えたくないという気持ちと葛藤しながら。
本とことばのかんじ
著者の三角みづ紀さんは、詩人です。
本書ははじめてのエッセイ集で、エッセイの中に詩が登場します。詩とは無縁のわたしですが、エッセイとセットで構成されているので、情景が思い浮かびやすく、詩人である三角さんの生活の見え方を堪能できる1冊でした。
ことばの紡ぎ方がていねいで、「どういうことだ?」とならずに、紡ぎ出すリズムにノリながら読めちゃうという感覚になりました。
ことばの出会い
わたしは村に住んでいて、外からは天気の音しかほとんど聞こえない。
元々市街地に住んでいるときもあり、目から飛び込んでくる情報量の違いを感じることは多々ありました。三角さんは耳から音の違いを感じて、そして田舎がもつ音を生きている音と表現しています。
ストレートですが、この土地が生きている音。やさしくて乱暴で、交われないけど隣にいてくれる、そんな田舎の音と風景を感じることばでした。
わたしは幼少期の記憶があまりないけど、いわゆるかわいくはない子供だったと思います。
こうやって無邪気に、純粋な心で生きていたのか自信がなくなる。
こども扱いしてしまうときがあるし、これを読んでいる方もあると思います。こども扱いはしない、みんな平等にしましょうという言葉がありますが、難しいですよね。相手の立場になりましょう、自分がされて嫌なことは相手にしないでおきましょう、という言葉とセットにするとどうでしょうか。もっと難しいですよね。
難しい理由って、自分のこどもの頃を思い出せないからだと思うんです。
相手の立場になんてなれないです。だってもう思い出せないんだもん。
ただなんとなく、本当にほんのりと、幼い頃の知らなくて怖くて楽しくて新鮮だった、あの頃の気持ちを、思い出させてくれる。
まっすぐなことばで、刺してくれて。うれしくて、自信がなくなるけど自信が出てくる、そんなことばです。
わたしとことばの出会いと、わたしと本の関係性を綴った【書評(?)Vol.2】でした。
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