反芻2 マネする育児(仮名)
「子どもは自ら育つ力を持っている」
大人は見守るのみである。
という考えのもと、子どもという特殊な生き物について、関わり(声かけ)方、生活の仕方、母親父親の役割などを遠藤さんの子育ち講座で学んだ。(途中まで)
遠藤さんいわく、「子どものありのままを受け止める」、大人(母親)は「マネ、指示、労い」だけでよい、それ以外のことは不要でむしろ有害だ、と仰っていた。(私の解釈)
マネというのは、
子どもが「りんご食べたい!」と言ったら「りんご食べたいね~」と返す。
「やだ!着替えない!」「やだね~着替えたくないね~」
「だめ!これ触っちゃだめ!」「触っちゃダメかぁ」
という感じ。
上記は先生が今朝おっしゃっていた言葉だ。
言葉ではオウム返しをするが、りんごはないので出せない。おねしょで濡れた服はヤダといっても着替えて頂いたし、台所に整列されていた電車たちは撤去させて頂いた。
マネは言葉に限らない。
赤ちゃんが「あーうー」といえば、「あーうー」と返す。
笑えば、大人も笑う。泣けば、泣く(フリをする)。
子どもが走れば走り、コケれば、コケる。(さすがにやりすぎかもしれない)
ということだ。
大切なのは、子どもから出できた言葉(以外も)をまず受け止める、という姿勢だ。(と思う)
りんごないしそもそもキミは食べ過ぎだとか、臭いからおしっこで濡れた服を早く着替えておくれとか、朝の台所は戦場なのでおもちゃは持ち込まないでおくれとか(といってもおもちゃだらけになる)は、その後だ。(とお思う)
これは、「子どものありのままを受け止める」ということに帰結していくのだが、
「マネ」はやっていて、単純におもしろい。
その最たるものが、子どもの「なんで?」に「なんでだろう?」と返すことだ。
続く(なかなか本題にたどり着かない)
ちなみに写真は畑で育てている大根。大根も、自ら育つ力を持っている。