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自分に優しく、なんてできる気がしないよ

わたし、自分のこと嫌いだし、死んじゃいたいときもあったし、なんでこんなに苦しいことばっかりな毎日なんだろうって、ぜーんぶ捨てたいっ!と思う日もあった。今だって別に自分のこと好きじゃない。自分の守り方はカッチカチに固めるか、自分の世界に籠って、全部聞かない!ってすることしか知らない。中高生の時はみえるところに傷のつかない自傷行為もしてた。全部自分が悪い。自分は傷つかないといけない。もっともっと苦しむべきなんだと本気で思う夜があった。でも、自分のことが嫌いな割に、自分で自分を傷つけることはあるのに、よくわからないところで自信を発揮して、認めてほしいって承認欲求だけは一人前に持っていて、そんな自分もよくわかんなかった。そしてそれもまた嫌いだった。

今だって別に変っていない。自信なんて別にない。あるように見えるのなら、そう振舞うことが私の身体に刻み込まれているからだと思う。

自分の愛し方が分からない。私は自分がどれだけ傷ついてもいいと思ってる。その結果、自分がいなくなってもいいと思ってる。それで世界の平和が保たれるのなら、私はいなくてもいい。

でもご自愛してねと言われる。SNSをはじめてから、SNSを通して言われるようになった。別にこんな暗い話しなくても、言われる。もっと自分を大切にねって。私の書く文章、言葉から、そんなにも私の悲痛は漏れているのだろうか。そんなことないはず、と思っているのも私だけなのだろうか。

話したいことが話せないから、どう頑張っても周りに求めることができくなって、書くことを身につけた。見せる訳でもない言葉を毎晩書き続けた。その日記は学生時代5冊は超えていた。そりゃ楽しい日もあった。幸せいっぱいな楽しそうな私が目に浮かぶようなことを書く日もあった。でもそれと同じくらい、もしかしたらそれ以上に悲しくて辛い日があった。「消えたい」と泣きながら書き殴った日もある。所々、紙がくしゃっとなっているのは涙が零れた跡。震えるような弱さの滲む時もあれば、怒りや悲しみか全面に出る日もある。
そうやって誰にも見れせない言葉を幾度となく書き続けた。あの日記たちだけは誰にも見せるまい。死にそうになる前に自分で燃やしてしまいたい。もう遺書でも書いておこうかってくらいには暗い暗い、私だけの闇が部屋の隅っこに今も置かれている。

悲しみや苦しみだけが全てだった頃、私は自分を傷つけて生きていた。傷があるから生きてこれた。

そんな私は自分を傷つける術はいくらか知っているけれど、逆の方法は分からない。自分自身の愛し方も愛され方もまた分からない。
人は私に優しくしてくれるけれど、考えすぎて裏を探る時もあった。そんな自分もまた嫌だった。どうせお世辞だと受け取ることすらできなかった。そして今は「ありがとう」と形式上は受け取ることにしている。でも私はそれが本気と信じられない。信じたくない。私は唯一無二でありたいなんて大それたことを思いつつ、そんなことないって思ってる。いつだって矛盾にまみれて、それが嫌で嫌いで、一生抜け出せないループに私は一生陥るのだろう。

「自分を大切にする方法」 検索

本気で調べたことがある。大学4年生の春、学習相談室みたいなところに一時期通った。これまで不登校も保健室通いもなんとかしないで、メンタルがどれだけ壊れても病院に行かなかった私が、その時だけは知らない誰かに助けて欲しくて、話したいことをたくさん背負って、辛くなったとき、週に一回くらい行った。その時も言われた。

辛くなったら温かいものを飲んでね。
自分をケアしてあげてね。ハンドクリーム塗るとか、そんなことでいい。身体を労わってあげること。その積み重ねで自分に優しくなれるよ、と。

それらは一時的な気休めにはなるけれど、根本の私は変わらない。私はいつも弱くて辛くて苦しくて、なんにもできないひとりぼっち。

ずっとずっと、こんなことばかり考えているけれど、みんな私に優しくしてくれる。どうしてって、それが酷く辛い時もあるけれど、逆に苦しくなってしまうときもあるけれど、やっぱりどこか救われた。
私はひとりぼっちだと思ってた。実際そんな時期も確かにあった。あのときほんとに死んじゃおっかなって思ってた。でも死ななくて良かったと思えるようになった。

みんな優しくしてくれる。人が集まってくる。
私は人に心配されて、助けれもらって、愛されているんだなと、そうやって状況をみることで感じられる。じゃあ私も自分を愛してみたいなと思った。でもさ、今まで愛するなんてことの真反対、傷つけて苦しめてきたからさ、愛する方法なんて分からない。自分を愛する方法ってなに???

私は人を信じられたこともほとんどない。信じたと思った人からは「試してたんでしょ」と言われる。信じ方さえ分からないのに、愛し方も分かるはずない。それは当たり前だよね。そもそも、人の愛し方も分からない気がする。愛とはなに?なんてこと言いたくないけれど愛の形が分からないのに愛し方なんて分かるはずないじゃない。

どうしたら好きって伝わりますか。愛はなにかは分からないけれど、じゃあ、愛おしいって伝わりますか。なにが愛で、愛じゃないの?どうしてこんなに大切なことを誰も教えてくれないの?ねえどうして?言葉で言っても、口でならどうとでも言えるって。行動で示すってそんなの受け取り方次第じゃん。私は自分にいくら優しくしても、優しいとされる行動をしても、自分が優しくされたなんて感じられない。結局全部、かたち上だけって思ってしまうんだもん。

愛し方も分からなければ愛され方も分からない。私はたとえ誰に裏切られても、死んじゃいたくなっても、死ねない。またか。それだけ。きっと今でもどこかで裏切られるんだってたぶん思ってる。結局誰も、信じられないかもしれない。自分の行動は分からないくせに、他人に対して敏感で、例えば学生の頃は私に好意を持っている人が分かった。知らない人でも直感で分かった。のちのち言われることもあれは、噂で聞くこともあった。そしてそれは逆も然り。そんなことでも嫌な思いは散々したから、人との繋がりを自分で選んだ。相手からも好意を感じるひと、そして自分も好意をもてる人。それでも私は不安になる。いつかまた…と、その人を信じてないわけじゃないのに、過去の自分の姿を信じすぎている。人を見れば分かるよ、少なくとも私に対してどう思っているのか。それでも過去の私は根強く生きてる。

私はもう、過去を精算できるくらいには楽しく幸せに生きてます。でも、楽しすぎて幸せすぎるから、いつかまた、あんなことになるんじゃないかって不安は消えない。この不安はいつになったら消えるの?どうして心からの幸せは訪れないの?こんなに拗らせてることも書いててようやく見つけられた。私はそんなにも過去に縛られているんだね。

とにかくさ、愛し方と愛され方を教えて欲しい。
ときどき不安になるのは、いつまで続くの?


ごめんなさい。こんなこと書きたいんじゃ無いのに。お酒のせいって言ったら許されますか?ときどき真っ黒な私も出てくるくらいには、むかーし昔、辛かったんだよね。

でも、そんな時はこうやって、昔からずっと書いて昇華してきたんです。私の気持ちが綺麗さっぱり、浄化されますように。こんな気持ちを知っているから、きっと私は書けるんだろうね。書くことが私の全てなんだよ。
おやすみなさい。良い夢を。

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