生き急がないで “今” を生きたい
高校生になってから、母に度々言われるようになりました。
高校生の私は、やりたいことの全部を詰め込んでいました。部活に勉強、週7で部活があるのに休日には本屋へ行く。時たま友人と遊ぶ。朝練から一日が始まり、電車の中でも勉強と部活のこと。家に帰って2時間勉強して、お風呂の中でも部活を考え、朝練のために12時前には就寝し、朝練へと飛び起きる。
大学生もそうでした。それまでと打って変わって男子ばかりの機械工学科を選び、ロケット部でロケット作り。一方で広報ではいろんなことに手を出しすぎて、ロケット作りも分野なんて気にせず、気になることはとことんやる。更にはバイトを掛け持ち続け、加えて旅に本にカメラ。資格もいくつか取りました。
生き急いでる以外の何でもない
それでもやりたいことや気になること、興味あることも全く尽きませんでした。やりたいことが多いからこそ、優先順位が必要で、考えてこうどしてました。もちろん長く考えるも、何だかんだきっちり行動に移します。
だからこそ就活だって1ヶ月半で終わってしまったのかもしれません。そのことに後悔していない。あの時できるだけのことはした。社会人頑張ろうと思っていました。
でも、入社1か月前に配属先が変わって一変しました。講義もしたけど通らず、内定時と違う部署への配属でモチベーションなんてありません。そして予想通り、業務なんて向いてるはずもなく、モチベーションも何も無いのだからすぐに辞めたくなりました。不平不満も言ったけどやっぱりテレアポを数ヶ月も続けるのは無理でした。
だから、辞めたらやりたいことを考えました。
勉強したいことが山ほどある
かわいい服が着たい
本を読みたい
副業を進めたい
それだけ出たあと、本当に私は何がしたいのか分からなくなりました。電車の中でITパスポートを開く人、小説を読む人、よくわかんない難しそうな本も面白そうで、なんか全部やってみたいと思ってしまう。
詰め込んで生きてきたから、私は詰め込むことしか知りません。今だって、ほら、働きながら辞めたその後を考えるし、それっぽいものも調べて副業だって細く進めている。
常に先のことばかり考えて、危険回避の道を探しているような気がします。なんか、もうそれに疲れた。
テレアポが嫌なものある。これ以上は心が持たない。
こうやって精神疾患になるんだろうなとぼやっと思う。
でもそれだけじゃない。
やりたくない仕事を続けられない。
だから仕事を辞めました。
同期も上司もいい人ばかりなので、今までの自分にとっては凄くもったいない。でも、これ以上テレアポをしたくないし、もう耳が痛いし頭は痛いし、通勤電車が苦しい。今の私はいつ涙がでてきてもおかしくない。毎日泣いてる。これはおかしい。普通じゃない。辞めたくて仕方ない。
辞めるだって、先の不安ばかり考えて危険回避の道を探している。これを続けている段階ではきっと満足いくことなんてないし、ずっと無駄に考え続けるし、空回りしてしまう気がする。
だから、やりたいことや危険回避のためのやるべきことを詰め込むこともやめにしたい。
私が生き急ぐほど詰め込むのは不安な“未来”のため。
危険回避はあらかじめ危険を予測して、回避行動をとるもの。
たぶん、中学生くらいのときからずっとそうやってきました。勉強だって、部活だって、継続することは未来に繋がるから辞めちゃいけない。そう思ってたくさん自分を苦しめてきました。
続けたからこそ、得られたものもある。勉強好きもそのときに得た。そんな自分も好きだ。
でも、ここで一度 “未来” のための行動を無くしてみたい。そうじゃないと私はこの先ずっと苦しみ続けるし、やりたいことも見つからない気がする。
日常が毎日の連続なら、“今” を一生懸命に楽しく生きることが “未来” の楽しい毎日に繋がると信じたい。
危険回避のために生きてきた私にとって、この選択はものすごく怖い。死ぬより怖いかもしれない。
それでも私は “今” を生きたいんだ。
未来のことを考えて、責任持つのが社会人かもしれないけれど、生きていけるだけのお金さえ稼げれば一旦は良いことにしてみたい。そんな自分が何をするのか見てみたい。だってなんにも検討もつかないんだもん。
自分の持つ先入観も常識も思考も
それがあるから私だけれど
まだまだ無駄に持ちすぎてるんだと思う。
思っているだけで自分が真に理解しているわけじゃない。
ここをクリアしないと、今何しても続かない。
同じこと、詰め込むことを繰り返すだけ。
だから、いっそのこと、全部離してしまおう。
そんな思いも持ちながら
社会人として働いた11日目
私は会社を辞めました。
どうなるか分からない未来
未来の私、どうか笑っていてね。