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終わりを迎える関係

あと何回この悔しい思いをしなければならないのだろうか。虚しさが心のなかを占拠する。

そんなふうに簡単に人を切れるのか。そうか、そうだったのか。

これで自分のことを「人見る目が無い」なんて言ったら、それはいま私を支えてくれている人たちに失礼になる。じゃなぜ?

遅かれ早かれ決別の時はきたのだろう。そんな内容だった。

共感能力の欠如。おごり高ぶった心。損得勘定で決められた優劣のついた人間関係。

「嫌いになりたくない」

大丈夫。そんな人間とは私が一緒にいられない。こちらからお断り。どうぞいくらでもわたしを嫌ってくれていい。

一つの人間関係が終わるを迎える。何度経験したって慣れるものではない。そのたびにひどく胸が痛むし、多くの涙も流す。ただ少しずつわかってきたのは、この出来事自体は一見最悪の出来事に思えるけれど、実はそこから得るものが多くあるということ。

離れたあの人にもこの人にも、これまでの関係のなかで感謝していることも多くある。そこに変わりはない。きっとその人から学ぶことが終わったのだ。だからもう一緒にはいることはできないのだろう。いつも別れは突然で、その時には必ず。有無を言わさずとにかくもうこの流れには抗えないという、ある種の強制的な力を感じる。なぜか抗えば抗うほどより酷い状況に陥るのだ。

こういった出来事が起こるたび、自分がどれほど家族や友人といった人たちに支えられて生きているのかを痛感する。そのありがたさは他には代えられない。「私は一人ではない。大丈夫。」そう想える大切な人たちが私のまわりに居てくれることの心強さ。

そして一つのスペースが空けば、また新たな出会いによってそのスペースが埋められていく。今の私に必要な出会い。その繰り返し。

痛みを乗り越えるまでが辛すぎるから、いつも大事なことを忘れてしまいそうになる。神さまを恨めしく思ったりして。そのたびに「違う、そうじゃないんだ」と我に返る。

一つ削ぎ落とされたのだ。そして残された関係は、より強固な信頼関係で結ばれていく。

重すぎず軽すぎず、近すぎず遠すぎず。適度な距離感と想いやり。そうして人は、人と共に生きていく。私もそうして、今日この時を生きている。意味のない出来事など、この世に存在しないのだから。

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