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夢にあらわれる父。そしていま安心な場所へ。

私が9才のとき、両親は別居を始めた。
別居することを知ったときは、本当に心の底から嬉しくて、正直これまで母にしてもらったことの中で1番嬉しかったんじゃないかと思うくらい。そのくらい私にとっては大きな出来事だった。

離れて暮らし始めてからしばらくは、まだ家が同じ町内にあり、そして相変わらず勉強はしなければならなかったため、ほぼ毎日父の家に通い勉強を教わっていた。しかしそれもふとした事がきっかけで行かなくなってしまった。

その後、同じ沿線だが少し離れた地区に引っ越しをした。その頃には父は私たちがどこに住んでいるのか、おそらく正確には知らなかったのではないかと思う。そんな状態のとき、私はある夢を見始めた。それは、父に見つからないように引っ越しをしたのに、どうしてか父が私たちの自宅を見つけだし、突如家に訪ねてくるという夢だった。

夢の中で私たちの自宅に訪ねてくる父は、いつも笑っていたように思う。その笑顔が逆に恐ろしかった。その笑顔には、ようやく見つけてやったという怒りが含まれていたから。

夢の中の私の心は、父に見つかってしまったこと、そしてまた気に入らないことがあればすぐに父が怒鳴り散らす日々が訪れるだろうこと、みんなが父に怯えながら毎日を生きていくことになるだろうこと、そんな日常に戻らなくてはならないことへの絶望感、そういったものでいっぱいだった。特にあの絶望感。心の中が黒いもので覆われて、ずっしりと重くなっていく感覚。もしくは心の中がすべて黒いもので埋め尽くされて呼吸ができなくなるような感じだろうか。いまでもうまく言葉に表せないが、とにかくあの絶望感は私の心を蝕んだ。こんな夢を繰り返し見ている時点で、健康な心は損なわれ始めていたのだろう。

何度となく見たこの夢の中でも、最も記憶に残っている夢がある。それは、私が中学校にあがるタイミングで引っ越した家で見た夢だった。

夢の中でも私は眠っている。
普段は母と一緒に寝ている寝室で、畳敷きの5畳ほどの部屋だ。ベッドではなく、布団を敷いてベランダに面した窓側に頭を向けて寝ていた。
ふと目を覚ますと、私の眠る布団の左横に父と母が並んで座っているのだった。突然現れた父に驚いて、心臓がバクバクと音を鳴らしはじめる。2人は眠りから覚めた私を見下ろしながら、ニコニコと笑っている。その笑顔に違和感を覚えた。するの母がこう言ったのだ。
「お父さんとやり直すことにしたから」
一瞬、全身に心臓が止まってしまいそうなくらいの衝撃が走る。

そんな私にはおかまいなしに、2人はずっと笑顔のままだ。まるで笑顔が顔に貼り付いてしまっているかのようで気味が悪い。

母は私の気持ちを知っているはずなのに、どうしてそんな酷い人間とやり直すなんて言うのだろう。ニコニコ笑い続ける母には、もはや私の気持ちは届きそうもなかった。今までよりもさらに深い絶望感が押し寄せる。何もできない。私はまだ中学生になったばかりの子供で、何の決定権も持っていない。親が決めたことは絶対なのだ。もどかしさとやるせなさ。自分の一番身近にいる大人たちに言葉が、そして心が通じない。辛くて悲しくて、私は布団に横になったまま、ただただ涙を流すよりほかなかった。

そこでようやく現実の世界で目が覚めた。目覚めたら、現実の私も夢の中と同様に涙を流していた。夢を見て泣いたのは、あれが初めてだ。

そして目が覚めてすべては夢の中の出来事だったと気付いたとき、あまりの安堵にさらに涙がこみ上げて泣きじゃくったことを覚えている。夢であってくれて本当によかった、と。

これまで多くの辛い経験をしたし、その度に父を恨んだ。けれどまわりの人に恵まれ、自分自身と向き合うこと、そして健康な心を取り戻すための努力もした。そうしたことの積み重ねが、いまここにある安心な場所を作り上げているのだ。私はいま、あの時よりももっとずっと安心な場所にいる。私を絶望に陥れる、あの父はいなくなったのだ。だからもう、あの夢は見ない。

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