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僕は何者でもない。 実際には何者かではあるのだろうけれど、 とかくこのネットの世界では無名である。 文字をつらつらと、自分の考えをつづる。 でも僕のネットの声を聞く人は何人いるのだろうか。 芸能人や著名人、自身のスキルを活かした著者 さまざまな何者かが、この世界にやってくる。 その瞬間、私は太刀打ちができない。 このnoteで戦おうとする僕をフルボッコにしてくる。 その人たちは重ねている。 もちろんそうだ、そうでなければ大きく羽ばたいていない。 そんな何者かが、日々のお散歩
夢は現実からの逃避だ。 大学、優秀さ、学歴差が織りなす世界。 イマジナリーの中で、理想の世界に足を踏み入れる。 リアリティーを探究することの恐ろしさから逃げていることと同義だ。 残酷な社会が僕のような学生を待っている。 これは学生にその覚悟がないだけかもしれない。 僕たちにも問題がある。 酒と女遊びだけに注力し、 四年生になって、やっと人生について考え出す。 学が浅い僕たちは、きっと苦戦するだろう。 ちゃんと怒られなかった僕たちの罪は、社会に出て初めて精算される。 当たり前
僕は必死と言う言葉が嫌いだ。 別に必死になることが嫌なんじゃない。 ただ、「自分は今必死です。」 というセリフを言うのが嫌なのです。 自分は人生で成長していくと思います。 その時を必死に生きていることは、 将来自分が進んでいった結果として、 あの時は必死だったと言えるのであって、 今僕は必死ですと言うと、 自分の限界はそこなんだって、 認めていることになると思うんです。 思考の罠にはまっているが、 真理はついていると思う。 今が一番若いから、指が動き続ける限り、 体が動き
自分らしさとはなんだろうか。 他人との差がそれだとするならば、 外見上はすでに自分らしさが感じられるだろう。 芸能人やインスタグラマーを見て、 自分の顔の醜さを痛感してしまうその顔も、 個性として扱ってしまうのは、 なんだか寂しい気もする。 自分らしさは、自分がポジティブになれる、 必要がある。 自分の心を高揚させ、現在を強く生きることができるもの。 それが自分らしさだろう。 この文を読んでいるあなたはどうだろうか。 定職につき、毎日忙しく働いている人
妄想が飛び出し、 思考は現実に現れる。 僕はうつ病なのかもしれない。 初めてだったわけではないが、 大学に行くことが恐ろしくなった。 あの研究室に、あの教室に、あの敷地に入ることが 恐ろしくなった。 怖かったんだ。 でも行かなきゃいけない。 大学に用事があり、行かなければならなかった。 1ヶ月ぶりくらいだった。 久しぶりに会うともだち。 でもなんだか変な感じだった。 呂律や気の利いた言葉が話せない。 なんだか嫌な予感がした。 毎週のように糾弾され